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今かぐわしき人々 第154回
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    第154回:市川右若さん(歌舞伎俳優)

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 歌舞伎俳優は世襲だけではなく、師匠に弟子入りして俳優になる人もいます。たくさんの舞台で個性的に活躍する市川右若さんもそのひとり。1997年に当時の初代・市川右近さんに弟子入りし、2017年に右近さんが二代目右團次になられて「市川右若」を襲名されました。
 2年間にわたって興行される十三代目市川團十郎襲名記念プログラムにも、2022年12月公演に出演され、2023年1月の初春公演『SANEMORI』にも侍女の夏草役で出演。女形として柔らかく包容力のある美しさを醸す右若さんに、芸への思いを伺いました。

《1》遊園地より、歌舞伎に心を奪われた

 山梨県甲府市の出身で、甲府大使にも任命されている歌舞伎俳優、市川右若さん。今のところ、山梨県出身の歌舞伎俳優は彼ひとりのようです。
 どのように歌舞伎への道に入られたのかを尋ねると、その始まりには日本舞踊がありました。

「もともと、子どもの頃から日本舞踊を習っていまして、踊りには興味がありました。毎年、お正月に家族で東京の浅草寺に初詣に行って、花やしきで遊ぶという習わしがあったんです。小5の時、お詣りの後、お昼ご飯を食べた店に『新春大歌舞伎』のポスターが貼ってあったんです。それを見て、花やしきよりこっちがいい、と親にねだりました。席の値段と花やしきの入園料はずいぶん違いますが、親も折れて、観せてくれたんです。それでもう、はまりましたね。当時は十八代目の中村勘三郎さんがまだ勘九郎さん、十代目の坂東三津五郎さんが八十助だった時代。残念ながらお二人とも亡くなってしまいましたが、それはそれは華やかで、引き込まれる舞台でした。私は歌舞伎に夢中になってしまったのです」

 中学生になると、彼は1人で上京して歌舞伎を見に行くようになりました。

「親も役者になりたいんだな、と理解してくれたようで、学校を休んで行っても怒らなかった。その頃にはもう『歌舞伎を見たい』から『歌舞伎に出たい』になっていました」

 そんな歌舞伎一途になった彼に、思いがけない道が開かれていったのです。

「あるとき、通路側に座っていると、向こうの通路側にいる人が『誰が好きなの』と話しかけてこられたのです。それで師匠の名前を言ったら、偶然にもファンクラブのスタッフさんで『今度、ちょうど師匠の誕生パーティーがあるから、行ってみたら』と。そのパーティーが11月。『この子、役者になりたい子なの』と後援会の人が言うと師匠は『相談に乗るよ』と言ってくださり、翌年5月の半ばにお目にかかれました。その際は、入門する人が3人いるので無理かもということだったのですが、次の電話は『7月の舞台に出ていただきます』だったのです。一人暮らしの準備をしたり、支度やしきたりを覚えたり、それはそれは目まぐるしい日々でした」

 初舞台は「夏祭浪花鑑」の仲居役と他立役三役。派手にお囃子の流れる演目で、まだ裏若い右若さんはどんなに心ときめいたことでしょう。

「ありがたかったです。無我夢中でしたね。最初は女形もたまにしかやれなかったし、台詞もなかったり。幕開きに台詞のある女形の仕事をもらえたのはちょうど5年目でした。15年目に名題資格審査という試験を受けて、名題披露をする資格をいただきました。披露をすると、南座の顔見世の招きに看板が上がるのです。今年でちょうど、名題になって10年になります」

 入り口が幸運だったとしても、おそらくこれまでの25年の間、多くのものを学び、周囲の全てに気遣い、辛いことも苦しいこともあったでしょう。でも目の前にいる右若さんは、柔らかな微笑みを浮かべるばかりなのです。

市川右若さん

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