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    第180回:原田伸郎さん(シンガーソングライター、タレント)

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《2》山手線にリスナーを集めたり、裏番組を乗っ取ったり

 ヒット曲が出ると、東京でもあのねのねを放っておかなくなりました。深夜放送の雄『オールナイトニッポン』にもレギュラー出演することに。

「昭和48年かな。そのとき『オールナイトニッポン』で構成作家をやっていたのが後に直木賞作家となる景山民夫さんでした。彼は英語もできるし、面白いアイデアをいろいろ考えてくれてね。ちょうどロッキード事件があった頃で、こっちは夜中で向こうは昼間だから、ロッキード社に電話してセスナ機を1台買いたいからパンフレットを送ってくれと言ったり(笑)」

 奇抜なアイデアも無茶ぶりも、原田さんのほんわかした喋りが憎めない笑いに変えてしまいます。あるとき、リスナーにこんな呼びかけを。

「番組が終わって始発の山手線に乗りますから、最寄駅に集合してください、と生放送で言ったんです。有楽町から始発に乗りました。そうしたら、どの駅もどの駅もホームにびっしりリスナーがいて。僕の乗っている車両に人が押し寄せて、ガラスが割れたんですよ。危ない、とばかりに、大崎かどこかで降りて、山の方へ走りました。ケガ人が出なくて良かったです」

 そのくらい、ラジオの深夜放送は熱い時代で、そこに原田さんと清水さんのトークが拍車をかけたのでしょう。
 あるときは、裏番組の文化放送ラジオ『セイ!ヤング』を乗っ取ろうという企みも。

「生放送で『セイ!ヤング』に電話して僕とせんだみつおさんがしゃべっていて。その間に清水さんが文化放送へ行って突然『セイ!ヤング』の生放送に押しかけて『セイ!ヤングを乗っ取ったぞー』と。『セイ!ヤング』を『オールナイトニッポン』に取り込んでしまったんです」

 今なら許可がどうの、コンプライアンスがどうのと言われて叶うことのない企画です。

「あの頃のディレクターさんは面白がってくれて『俺たちが謝るから、好きにやって』と言ってくれましたよね。リスナーも無茶苦茶なことに本気で付き合ってくれた。アホになれたんですよ。アホになるって得になることやのにね。みんなもっとアホのふりしないと!」。

原田伸郎さん

《3》失敗があったから、新しい道が開けた。人生、失敗って大事やなあと思う

 全国的な人気を獲得していったあのねのねは、本を出せば80万部のベストセラーに。全国ツアーはどこへ行っても超満員。1975年には蔵前国技館でコンサートを開催しました。

「僕はそこで、あのねのねを終わりにしようと決めていたんです。大学へ戻ってちゃんと卒業して就職しようと。親父はサラリーマンだし、そういう血が僕には流れていて。こんなことは長くは続けられへん、いつまでもやってたらあかん、と。コンサートでは『別れの悲しみ』という曲を歌って号泣して、清水さんと握手したとき、清水さんが『おまえ、何泣いてるねん』と言った。清水さんは卒業したらまたやる気だったんですよ。『あのねのねは永遠に不滅です』と長嶋茂雄さんのように言って終わった。結局、解散はしなかったんですが」

 一番高い初任給が65000円という時代。すでに原田さんは巨額のギャラを手に入れていました。

「就職課の先生に『1ヶ月働いてこの金額ですか』と聞きましたから。1日のギャラがそれ以上あったんです。Gパンのポケットに50万ずつ入れて学校へ行ってました。友達に『奢ってくれ』と言われたら奢ってたし『親の会社が危ないから、100万貸してくれ』と言われて貸したこともありました。そういうお金は戻ってきません。借りた人も返せなかったら僕に悪いことをしたと思うでしょうから、そこで縁が切れる。良くないですよね。でも、僕の金銭感覚もおかしくなっていて。これはもう、芸能活動を続けられるだけ続けていくしかないな、と」

 そういえば、あのねのねの振り出しは、旅館のバイトをクビになってビアガーデンで歌い始めたことでした。

「たかだか時給数百円のことでクビになったわけでしょう。女将さんに塩撒かれてどないしよう。その失敗があったから、新しい道が開けた。人生、失敗って大事やなあと思う。アリスとかかっこいい音楽に憧れてたけど、僕らは笑わせる歌でみんながわーっと喜んでくれた。自分にできることでいいねんな。人それぞれ、やれることがある」

 そのあのねのねが、とうとう50周年。京都と東京で予定されている記念コンサートは数日で完売してしまいました。

「この記念コンサートの前にリハビリコンサートもやってたんです。みんな待っててくれて嬉しいです。僕自身のあのねのねの思い出より、みなさんそれぞれが自分とあのねのねの思い出を重ねてくれている。そこでのアンケートを読んでいると、いろんなエピソードがありました。『昔、私が女子高生だった頃です。楽屋前で出待ちをしていたら、伸郎さんが紙コップのジュースを持って出てきたので、それをちょうだいと言って飲みました。だからその間接キッスが、私のファーストキッスです』とかね」

 ファンの心を掴み続けている理由は、原田さんも清水さんもそれぞれの才能を生かして芸能活動を続けているということにもあるでしょう。原田さんはCMのナレーション、ラジオ、ゴルフ番組のレギュラーなど、今も大忙し。

「たくさんお金をもらってるからプロだけれど、僕にはプロという意識がない。何をやっても中途半端やし。ただ当たり前にあるものを壊していくのが得意。壊して笑いを取るんやね」

 TikTokで『ネコニャンニャンニャン』が2億再生回数を突破していることも、原田さんは客観的に見つめています。

「流行りって、一直線じゃなくて円を描いて、丸く戻ってくるんやね。ファッションもそうやもんね。ラッパズボン、またみんな履きだしたでしょ(笑)。

原田伸郎さん

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