ファンからのお悩み相談に歌で答えるうち、つくった歌のYouTubeの総再生回数は1億4000万回にもなったという、ericaさん。上京して4年の間にストリートで歌い続けたエネルギーは確かに届いていたのです。話し出せばどんどん広がるericaワールドはいつも笑顔であふれています。
ericaさんが生まれ育ったのは、山梨県北杜市の山合いの町で、八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳などの山々に囲まれたところだったようです。
「山梨のなかでもかなり人里離れているというか、自然でいっぱいのところでした。水は湧き水だし、山から水晶が出ていたし。それをとってきて削ってネックレスを作ったり、脱皮した蛇の皮を拾ってきて財布を作ったりしていました。とにかく何にもないところなんです。テレビは3チャンネル、基本、ラジオとNHKという感じで。
そういう場所だからこそ、与えてもらったピアノの前にいる時間が長くなっていきました。
「3歳からピアノをやっていました。ラジオから流れてくる曲をカセットに録音してコードを探して。カラオケもなかったし、何もないところからゼロイチで曲を作っていったり。フクロウの声、カエルの鳴き声、風の音。稲穂がそよそよいう音。そういう自然の音に耳を傾けては癒されていました。だから私、そういう自然の音のような声のアーティストになりたいなと今は思います」
ある日、そんな町にやってきたのは、津軽ひろ子さんという演歌歌手でした。
「公民館にやってきたんですよ、津軽ひろ子さんが!」
津軽ひろ子さんは、トラックで機材を運んで全国縦断、20年間に8000回、動員数600万人を達成したというインディペンデントな演歌歌手。
「祖父がカセットテープを買ってきて、私も聴いていました。『息子』という”ドラ息子”をうたった歌があって、出ていったまま便り一つよこさないという詞なんで、祖父が『おまえと一緒だな』と当時言ってくれました。」
ericaさんは、そういう演歌のなかにも良さを見つけていました。
「演歌って同じようなメロディで同じような歌詞を繰り返すでしょう。でも人が歌うことによってその人の個性がすごく出るじゃないですか。魂が音に出るのかな。そういうアーティストに惹かれるんですよね」。