気になるのはなぜericaさんが”ドラ息子”の歌詞と同じなのか、という点です。
「大学に受かったのに、歌手になりたい、と置き手紙をして家を出てしまったんです。上京して、バイトをしながらボイトレに通いました。でも事務所に所属するにも20歳までは親の同意が必要だとわかりまして。20歳になったとき、ちょうどI WiSHを解散したばかりのnaoさんと出会い、naoさんのプロデュースでデビューすることになったんです。」
ところが、ericaさんには武者修行が待っていました。
「デビューできる人って、小学生くらいから何か芸能活動的なことをやっている人がほとんどなんですよね。それで、まずは東京に慣れるのが大事だと言われまして。事務所に所属したら売ってもらえるものだと思っていたのですが」
そこで彼女は事務所へのアピールも始めます。CDを1000枚作り、ストリートで歌って売り始めたのでした。
「この1000枚を売り切ったら新しい世界に行けるんじゃないかと。それで、新宿南口でストリートをやり始めました。鍛えられましたよ。天気予報には詳しくなるし、歌っていると、私とお客さんの真ん中にトラックを止める人もいるし。でも1日40〜50枚売って、42日間で完売させました。そうしたら事務所も認めてくれて、私の歌がauのCMタイアップになったんです」
彼女の素敵なところは、その苦労をポジティブに変換させていったところ。
「風がないなら、自分が風になればいい。何かやってみて初めて物事は動くんだと思ったんです。いい意味で、マネージメントされなかったということは『あなたは自由に自分で作詞作曲しなさい』という意味だったんですね。ストリートでライブをやっていると『私、今日誕生日です』とか『付き合い始めた記念日なんです』という人が必ずいます。それで、即興でその人に歌を作ってうたってあげるようになりました」。