大阪・毎日放送のアナウンサーで、TBSテレビ全国ネット『THE TIME』の中継でもおなじみの福島暢啓さん。昭和のNHKアナウンサーのような安心感のある風貌ですが、MBSラジオ『ヤングタウン』日曜日では、落語家・錦笑亭満堂さんとの笑い満載の掛け合いも。それが好評で、二人で漫才コンビ”ヤングタウン” としてデビュー。2023年暮れの『M-1』では予選で準々決勝まで進出してしまいました。
”ニュータイプ・アナウンサー”はどのように出来上がったのでしょう。
大阪・毎日放送の社員アナウンサーである、福島暢啓さん。ラジオの生放送の前であるにも関わらず、落ち着いた物腰で取材に応じてくださいました。
出身は宮崎県。大学は京都・龍谷大学へ。
「学生時代、仕事としてやりたかったのは国語辞典の編纂です。それで、まず研究者になろうと思って、大学院の2年まで近代から現代への日本語を勉強していたんです。明治時代の小説が研究対象だったんですが、論文を書く根気がなくて」
学問に勤しむ一方で、部活にも積極的に参加していました。
「高校時代は演劇部で、放送部と掛け持ちをしていました。それで朗読をさせられて、県の大会へ出たこともありました。大学時代は落語研究会でしたから、音声で表現するのは好きだったんです。大学時代はひとりコントが面白いなと思って、イッセー尾形さんに憧れていました。ただその頃、漫才志向の先輩がいたので”志ん茶”というコンビを組んで、M-1に出たんです」
結果は2007年が準決勝、2009年も準決勝。2009年といえば、サンドウィッチマンが優勝した年。
「サンドウィッチマンの後ろでテレビに映ってるんですよ。M-1は大阪・ABC放送の制作ですから、ABCのプロデューサーに『君、おもろいなあ、うちへ来いよ』と言われました。すっかりその気になり、家に帰って調べたら、もうエントリー期間が終わっていました。それでまだエントリーできそうな放送局を探したら、毎日放送があったんです」
就職を導いたのが漫才きっかけで「Mー1」だったとは。そして毎日放送には一般職試験で無事に合格。
「一般職ですから、制作とか営業、総務、あるいは報道記者という職種での合格です。アナウンサーは専門職なので、試験自体が別なんですよ。僕はアナウンサーにはなれないと思っていました。昔は僕みたいなアナウンサーっていたけど、今はみんなシュッとしてるじゃないですか!」
しかし福島さんの喋りの経歴は、入社してから、人事部の知るところとなったのです。
「人事担当者が、ネット上にあった僕らの漫才の動画を見て『あいつ喋れるんじゃないか』ということになったようです。研修期間を長めにすることを条件に、アナウンサー部に配属されました。気づけばアナウンサーでした。ただ大学時代に音声学の授業も受けていたので、標準語のアクセント、鼻濁音、カ行・タ行の無声化といったことはできました。正調のアナウンスメントに対するこだわりは強いです。いまだに大阪弁は上手に喋れないんですが」。