元宝塚雪組のトップスターを経て、現在も舞台を中心に俳優とシンガーとして活躍するえまおゆうさん。2008年に宝塚時代と同じ絵麻緒からえまおとひらがなに開いて改名。これまでの節目、父との別れなど、あたたかな笑顔で語ってくださいました。
叔父は劇作家の矢代静一さん、従姉は俳優の毬谷友子さん。母親も服部シスターズで、服部良一のプロデュースによるコーラスグループに所蔵した俳優。父親は歯科医。なんともゴージャスな家に生まれたえまおゆうさん。本名は文世(ふみよ)でしたが、まず絵麻緒ゆうになったいきさつから聞きましょう。
「もともと叔父の矢代がつけてくれた芸名なんです。レンブラントの聖画に『エマオの旅人』という絵があるんです。イエス様が復活した土地の名前なんですね。叔父は最初は”今ふうに絵麻緒”だけでやれ、と言いました。ところが、劇団には受け入れてもらえなくて。それを苗字にしても名前にしてもいいけど、両方つけてくださいと。それで、自分で平仮名で、ゆう、とつけました」
2008年にすべて平仮名にしたのには、理由がありました。
「絵麻緒の麻を馬と書く人もいるし、緒を中央の央、と書く人もいるし。あと”絵麻緒”と”ゆう”が別人だと思う人も現れたりして。全部平仮名にしたら誰でも読めるし間違えないだろうと思って、そうしました。でもあまり、ゆう、という名前には思い入れはないんです。宝塚にも多いし、本名の文世からぶんちゃん、という愛称で呼ばれていたので。ゆうちゃん、って呼ばれても反応しないことも多かったです(笑)」
宝塚は、入りたくてたまらなかったという人が多いものですが、そもそも、考えても見なかったというえまおさん。
「モノマネが得意で子どもの頃から身近な人の前でやってはいましたが、まさか芸能界に入るとは思っていませんでした。むしろ4人きょうだいの一番上の姉が11歳上だったんですが、フォーリーブスの追っかけをしてたんです。夜遅くなって、怒った父が駅で仁王立ちしているような厳しい時代。遅いと言っても9時とかですよ。そういうときに、宝塚なら安心だと。で、宝塚を見せてたらその姉がはまったんです。でも矢代の叔父が『あなたは向いていないけど、一番下の子は何かもってるから、入れるなら入れなさい』と言ったんです。高校に入る頃には母と姉は叔父に説得されていまして。あとは私の負けず嫌いな性格をうまく刺激してくれましたね」
矢代さんはえまおさんに光るものを見ていたのでしょう。
宝塚の厳格な教育にも耐えうるものがえまおさんにもあったということかもしれません。
「確かに厳しく教えられたし、いじめられたような気分になったけど、私がちゃんとできたときには一緒に泣いて喜んでくれる先輩や仲間がいました。そこにちゃんと愛がありましたね」。