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    第207回:えまおゆうさん(俳優)

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《2》叔父のコネで役がついていると思われるのは嫌だった

 親の厳しい躾。学校の厳しい教育。今の時代には減ってしまったかもしれませんが、そういうものが育てたものがあったこともまた事実。

「研究生1年のとき、お給料はそんなにもらえないんですね。寮に入っていたんですが、憧れの上級生がいて、パフを縫って鏡の前に置いといたりしてたんです。いろいろプレゼントしたくなってやってたら、お金がなくなっちゃった。それで公衆電話から親に仕送りを頼んだんです。そうしたら『お金は降ってわいてくるもんじゃないの。計算して使いなさい』と拒否されて。『信じられない!』と叫びましたね(笑)。それでもね、宝塚というところは、上級生が頂いたものを分けてくれたり、事情を知る人が食べに来なさいと言ってくださったり。結局、ひもじい思いをすることはありませんでした」

 まさに劇団が家族のようなエピソード。

「小林一三先生は宝塚のことを劇団員というより、生徒と呼んでいたんです。今のようにSNSもなく情報量が少なかったので世の中の知らないことも多い人の集まりだけど、そこには愛情があって。劇団側にも生徒をずっと守ってあげないといけないという空気はすごくありました。退団してからも、それは感じましたね。ちゃんと守ってもらえてたなあと。一歩外へ出たら違いますよね。できない若い子に『もっとこうしたほうがいいよ』と言ったら『おせっかいだ』と言われたり。それを見ていた人に『あなたの損になるから、言わないほうがいい』とアドバイスをもらいました」

 相手のことを思って言う正直な発言も、そうはとってもらえないこともある。それが宝塚から一歩外へ出たえまおさんの実感でした。
 宝塚の寮で暮らす生活すべてが学びだったのでしょう。バレエやジャズダンスといった西洋的な踊りだけではなく、日本舞踊も仕込まれました。

「だから、あ、首の動かし方がちょっと違うな、とか、気になったりするんです。頭が柔らかくて、体力もしっかりあるときに、しっかり叩き込まれることのありがたさは、今感じますね」

 えまおさんのお母様はさらに叱咤激励してくださったそうです。

「ちょっと成績が下がると、『そんなにやる気がなくて努力しないんだったら、やめたら』と言われました。3番から8番に下がってくらいで言われましたよ。私自身も矢代の叔父のコネで役がついたように言われるのは嫌だというのもありました。私は悔しがりなんです。母に性格読まれてる悔しさもありました」

 お母様がそこまでいうのは、ご自身の人生の背景もあったようです。

「母は自分から俳優をやってたことは言わなかったんです。ところがうちの父が酔っ払ったときに、面白がって写真を出しちゃった。『やめてよ、子どもに見せるのは』と怒っていました。
服部良一さんがプロデュースしたコーラスグループ、服部リズムシスターズの一員でしたし、東宝のニューフェイスだった。でも、諦めちゃったんですよ。肺結核になってしまって」

 病気の既往があっても、4人目の子どもであるえまおさんを、41歳のときに命懸けで産んだお母様。きっとえまおさんのことを自分のこと以上に、いつもいつも真剣に考えておられたのでしょう。

えまおゆうさん

《3》毎朝お香をたいて、両親に手を合わせることを日課にしている

 叱咤激励してくれたお母様は13年前に亡くなり、お父様は昨年、97歳の大往生を遂げられました。
 えまおさんは、仏壇に毎朝、お水と、お線香を供えて、ご両親に挨拶をします。

「白檀の香りが好きなんですが、白檀にもいろいろありますね。松栄堂さんの芳輪というのを愛用しています。毎朝、お香をたいて、手を合わせることを日課にしています。そして、舞台が終わると、守ってくださってありがとうございました、と言うんです。そういうことを律儀にやっているからか、体調的に疲れてしんどいときも、高熱が出るとか声が出ないということはなしに、過ごせているのかなと。守られているな、すごいことだなと思います」

 お父様も最期まで娘のことを思って亡くなられたようです。

「父は『舞台人はもう親に死に目に会えないのは当たり前だ』と言っていました。『文世は感情が豊かすぎるから、舞台に迷惑をかけちゃいけないから、舞台中なら知らせるな』と。で、最後は亡くなる日、心拍が一旦停止したんですが、また動き出したんです。天国にいる母が『文世が明日は本番だから、終わるまでこっちにきちゃだめよ』と、父に言ったんだねと姉たちが話していました」

 舞台人としてあるべき姿をご両親が示されたのでしょうか。

「最後の方に朦朧としていたときも、うわごとで、私のことを次男の文世は、と語っていたそうです。『次男の文世は可愛いやつなんです。いいやつなんです。愛嬌があって。どうか文世に仕事を与えてください』と、誰かにずっと頭を下げていた、と」

 お父様は4番目に生まれる子どもが男の子であってほしいと思われていたのだそう。

「だから男の子の名前しか考えていなかったそうなんです。私は宝塚で男役をしたから、それは良かったのかな、男の部分を見せられたのかな」

 お父様が亡くなってから、どんどんえまおさんに仕事が増えました。

「天国で営業してくれているのかな。本当にいろんな意味で守ってくれているなと思います」

 えまおさんの心の底からの感謝が瞳に潤んでいました。

えまおゆうさん

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