大胆かつ精緻な筆使いと圧倒的な色彩で、デビュー当時から日本の風土に息づくものを描き続ける小松美羽さん。2014年には出雲大社に『新・風土記』を奉納して話題になりましたが、その後もニューヨーク、香港、台湾と、世界中で彼女の作品の評価が高まり、アーティストとしての立ち位置を確固たるものにしています。そんな小松さんに、今思うこと、日々の香りとの付き合い方を伺いました。
筆者が初めて小松美羽さんに会ったのは2012年春のこと。彼女の故郷、長野県坂城町の美術館に初めて自身の絵を展示するという時期でした。
当時の絵は今よりももっとおどろおどろしく、しかし圧倒的な生命力に満ち溢れていました。
「あの時は創作についてけっこう悩んでいました。その理由としては、美大に通っていた頃は銅版画だったので、絵の下地作りを学んでいなかったのもありましたね。色も黒が多かった。最近の作品は色も増えて、素材の使い方も研究して変わりました。それからすっかり楽しくなりましたね」
創作に悩んでいたというのは、生き方に悩んでいたこととも重なっていたようです。
「朝からお酒飲んだりして、堕落していましたね。これはもう、瞑想して自分を解放していかないといけないと思いました。家にあるお酒を泣きながら全部捨てて、冷蔵庫に缶ビールが入っていない状態をつくって(笑)」
小松さんはいったいどうやって、そんな状況を乗り越えたのでしょうか。
小松さんには、技術の上での新しい情報と、心をリフレッシュさせる両方のアプローチが必要でした。
「まず、技術面では、ネットで本を取り寄せて勉強したり、絵の具メーカーの技術者に新しい技法を教わったりして、表せるものを増やしていきました。アクリルや金箔、胡粉を使うようになりました」
ひとつひとつの技法を身につけることは、一枚一枚、背中に飛躍のための羽をつけるようなものだったのかもしれません。
もうひとつ、心のリフレッシュのために見つけたのが、瞑想でした。
「4年前にタイへ行ったんです。そこで、聖者に出会ったのです。ちょうど安曇野の北野美術館別館で個展をやっているときでした。その人に瞑想を学びました。第3の目にミニシアターを作って、そこにいろんなものを投影できるようにしたのです」
彼女が描くものは、この世と魔界との境目にいる、一般的には見えない生き物が多いのです。それを彼女は「神獣」と表現しています。
「神獣のディテールをしっかり見られるようにしなければ、描けませんよね。でも、自分が悪い方向に行っていると、飲み込まれてしまいます。絵というのは、悪いもの、怖いものも芸術という言葉で肯定されてしまう。でもあのままの自分だったらヤバかったと思います」