東大卒のタレントとして『進ぬ!電波少年』で、坂本ちゃんを家庭教師していた恵子先生は、今や浪曲師に。学者の家に生まれ、俳優を目指した春野恵子さんは、なぜ浪曲の道を選んだのでしょう。立板に水のごとく、まるで浪曲になりそうな半生をたっぷり語っていただきました。
文京区に生まれ、父は学者、姉は秀才。そんな春野恵子さんは、高校時代には自分の人生を真剣に考えていました。
「私は相撲好きの高校生でした。高2で進路を考えたとき、成績がこれくらいだからこの大学へ、というのは嫌で、理由が欲しいと思ったんです。そこで相撲好きを勉強するモチベーションにしました。当時、舞の海さんがスポーツ心理学を利用していたり、初代霧島が筋トレを取り入れたりし始めていたんです。そこで、スポーツ科学を相撲界に取り入れようということをモチベーションにし、東京大学教育学部体育研究学科に入学しました」
しかし、その学びを彼女は相撲に直接生かすことはできませんでした。
「当時はバブルもはじけ、東大女子は使いづらいという世の中のイメージも出てきまして。授業はとても楽しかったので、2単位を残して留年し、その1年は美術史を学びました」
好奇心旺盛で学ぶことを楽しめる恵子さん。卒業後は、小さな出版社に就職しました。
「すでに役者の仕事はしたくて、土、日、平日と、ミュージカルのエキストラのバイトなどをしていました。25歳のとき、編集長に『やりたいことをやらないといけないと思うので、やめたいと思います』というと『やっぱりね』と言われました。それで、アルバイトを掛け持ちしながら、役者の仕事を始めたんです。月刊デビューという雑誌で女性にグラビアモデルをやらせない事務所を探して、入りました」
その事務所は的場浩司さん、酒井美紀さんら、当時売れっ子の俳優もいるところ。恵子さんを担当した女性マネージャーはその後、向井理を見出した人なのだそうです。
そのマネージャーがある日、こんな仕事を持ちかけてきました。
「『電波少年』というバラエティ番組で、高学歴の人を探している、と。彼女は私の履歴書を覚えていてくれたんですね。いろんな偶然で、まさかのバラエティに出ることになったんです」
ところがこの番組が、今では考えられない凄い企画だったのです。