アニメの声優としては『タッチ』の上杉達也役、『キテレツ大百科』のトンガリ役。映画の吹き替えでは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティ役、『アマデウス』のモーツァルト役。誰もがどこかで三ツ矢雄二さんの声を聴いたことがあるでしょう。三ツ矢さんはその一方で、『テニスの王子様』などの2.5次元ミュージカルの脚本、作詞、演出などを手掛ける多才な人。
今回、初めて書き下ろされた自伝的エッセイ『曲のない詞(うた)』(ネルケプランニング発行)の話と、たくさんの仕事を120%やって来られた今までを振り返っていただきました。
生き生きと若々しいルックスの三ツ矢雄二さん。1954年生まれと聞いて、フレグラボのスタッフ一同、びっくりしました。
しかし、これまでのキャリアを振り返って考えてみると、名だたるたくさんのアニメや名画に声で出演されているのですから、それだけの歴史があるのも当然ですが。
三ツ矢さんは、もともとは俳優志望。愛知県に生まれ、子どもの頃から子役として活躍していました。
「子役をやってきた流れで、NHKのあるディレクターさんが、教育テレビで人形劇をやるから、声で出てみないかと誘ってくださいました。それでスタジオに行ったら、周りにいらっしゃったのが、声優と呼ばれる方たちでした。それまでは声優という仕事を意識したことはなかったんです。そのスタジオで声優さん、っていう仕事があるんだなと知ったんですね。その番組が終わる頃に、出演者の方から『今度、アニメのオーディションがあるから受けてみないか』と誘っていただいたんです」
それが『超電磁ロボ コン・バトラーV』の主人公、葵豹馬の役。
「『コン・バトラーV』はデビュー作になりました。20歳のときでした。主役デビューはラッキーでしたね」
声だけですべてを演じる声優の世界。俳優をやっていた三ツ矢さんにとって、どんなことが戸惑いだったのでしょう。
「基本的には変わらないんですが、アニメの場合は多少オーバーな表現で、しっかりはっきり喋らないといけません。身体も見えて演技しているときは、リアルに芝居をすればいいんですが、アニメの場合は誇張が必要なんですね。喜怒哀楽をはっきりさせないといけません。最初は戸惑いましたし、叱られましたよ。演出家の方がいらっしゃるんですが、僕は全然できませんから、居残りです。最初の2ヶ月は全然ダメでしたね」
今や、超ベテランの三ツ矢さんからは、想像もつかないデビュー当時のお話。しかし、全力で頑張る素直な三ツ矢さんは周りの方々に教えられ、成長していくのでした。
「オンエアが始まって見てみると、周りはベテランの方ばかりなので、新人の僕はやっぱり下手なんです。ああ、もうこれで終わりかなあと思っていたら、終わる直前にアニメの仕事が決まり、しばらくしてもう一本決まり、というように仕事が増えていって、気づけば5〜6本のアニメのレギュラーをもっていました。周りの方たちが育ててくださったし、期待されていたので。その期待には応えなくちゃと思ったんです。それで、俳優という職業はお休みすることにして、声優一本になりました」
初の自伝エッセイ『曲のない詞』には、小柄なルックスゆえのさまざまな当時の葛藤も描かれています。これはぜひご著書でご本人の書かれたものをお読みいただければと思いますが、すっぱりとアニメ一本になるまでには、舞台演劇の世界にも身を置きました。
「その頃、蜷川幸雄さんの事務所に所属して、昼は劇団の稽古、夜は明治大学二部の文学部文芸学科に通いました。その頃の経験が、のちにものを書いたり、舞台の演出をしたりということにつながっているのです。小柄ゆえに、結局は長く芸能界にいられることになったのかもしれません」。