9歳で落語を始め、22歳で真打になった落語家、柳家花緑さん。柔らかな語り口調と表現力は、多くのファンの心をつかんでいます。10月19日には、42回目の独演会『花緑ごのみ』を開催。今年は花緑さんの祖父、五代目柳家小さんの二十三回忌ということもあり、さらに気合が入っています。演目は、第4弾となるバレエ落語『眠れる森の乙女~バレエ「眠れる森の美女」より~』。なぜクラシックバレエを落語にし続けているのか。その面白さとは。まるで高座での枕のように、おかしみをまじえて語ってくださいました。
高座での和服姿が、いつも美しい色合わせで粋な柳家花緑さん。普段の装いもオシャレで、颯爽とお車で登場されました。
お話はまず、10月19日に内幸町・イイノホールで開催される第42回『花緑ごのみ』のことから。なんと今回は第4弾となる新作のバレエ落語『眠れる森の乙女~バレエ「眠れる森の美女」より~』を披露。花緑さんが、クラシックバレエを落語にするという試みです。
「兄がバレエをやっていましてね。小林十市という、モーリス・ベジャールバレエ団の元ダンサーで、今はバレエ・マスターに就任しています。べシャールさんが生きている頃、10年以上ソリストで活躍しておりました。僕なんかより取材していただきたいくらいですよ」
兄は世界的なバレエダンサー。自身は第一線を担う落語家。道を分けたのは、柳家小さんの娘であるお母様の息子たちの才能の見極めだったようです。
「母はバレエが好きでね。まず兄貴に習わせたいと思ったようなんですが、もはや兄も高学年になりつつあり『恥ずかしい』と言ったんです。それは普通でしょう。当時は男性ダンサーなんてあまりいませんし、女の子の中でほぼ一人で踊るわけですから。それで『弟がやるならやる』と言ったんです。僕はまだ恥ずかしさなんかないですから、兄貴と一緒に目白の小林紀子バレエ団・シアターのアカデミーにお世話になりました。でも遅まきながら、1年ぐらい経つと恥ずかしくなって。母に辞めたいと言ったら『いいのよ、おまえは落語家になるんだから』と言われました。それが小学3年生の時です」
お母様は、十市さんと花緑さんの才能を見抜いていたのでしょう。
「僕は赤ちゃんの頃からいつもこんな笑った顔だったんですよ。幼い頃の兄と二人で写っている写真を見ると、兄は二枚目風にカメラを見てるんですが、僕は愛嬌の塊みたいな顔して写ってるんです」
笑いの星をもって生まれていた花緑さんですが、バレエを踊った経験もしっかり残っていたようです。
「20数年前かな。クラシックバレエを落語にしようと思ってやってみたんです。最初は『ジゼル』でした。それを10年ぐらい前に東京シティ・バレエ団とコラボすることになったんです。大胆すぎると一度は断ったんですが、芸術監督の先生が『私にはもう絵が見える』とおっしゃって。見えちゃったんだって(笑)。バレエ、落語、バレエ、休憩、バレエ、落語みたいな感じでリレーでやりました。最後は僕の噺が終わるとシルエットになって、後ろでアルブレヒトとジゼルが現れて3人でポーズを取って終演という、幻想的な感じで」
もちろん、アルブレヒトとジゼルという名前ではなく、落語ではおさよと新三郎でした。