好評を博したバレエ落語で、次に手掛けたのは『白鳥の湖』。
「そのやり方を踏襲して2作目は『白鳥の湖』を『鶴の池』にしました。日本にも湖はあるんですが、池の方が面白いかと。3作目は『くるみ割り人形』を『くるみ割り侍』にして。あれはソルジャーだから日本ならサムライだろうと。お菓子の国はおかしな国にして、おかしな人がいっぱい出てくる。主人公のクララはくら、という名前にして、くらちゃんが成長する物語にしました」
今回の『眠れる森の乙女』もまだ仮題です。さて登場人物はどんなふうに和風になるのでしょうか。
「妖精が7人出てくるのですが、これは尼さんにしようかと思っています。悪魔が出てくるんだけど、これは烏天狗にしようかと。頭を悩ませながら、執筆中です。これがうまくいくと三大バレエ制覇なんですよ(笑)」
これはバレエも落語も知る花緑さんにしかできない新作。本来のバレエには笑いの要素はないので、自由度が高そうです。
「勝手に笑いを入れますから、多分、迷惑しているバレエファンもいるはずなんです。何を考えてるんだ、やめてくれと。初演もね、申し訳ないけど失敗に終わると思っていた。でも意外と評判が良くて。面白いのは、双方のファンは、双方を知らないんですよ。バレエファンは落語を知らないし、落語ファンはバレエを知らない。だけど、東京シティ・バレエ団の方々はプロですから、ちゃんと見せられちゃうんですよ。どちらも僕の滑稽な落語にそれが入ると格調が上がる。私はこれを『カクチョウの湖』と呼んでいます(笑)ウィンウィンなんです」
今回はまだバレエはなし。まず新作落語として語られます。
「東京シティ・バレエ団さんはまだ何も言ってないです。まずは見てみないとねと思われているのでしょう。向こうも大人ですから(笑)」
ぜひバレエとのコラボも見て見たいものです。
「うまくいくといいなと思っています。難しいのは、物語がどこかどのバレエ落語も似ていて、貴族の話が多いんです。それをお屋敷にすると武家になってしまう。別に江戸でないといけないわけではないですが、どこかの大名ということになります。落語はだいたいそうですが、固有名詞は出したくないんです」
とはいえ、花緑さんはバレエと落語の相似するところを見つけていました。
「バレエの振り付けは一つ一つがコミュニケーションなんです。だから踊ってるシーンを落語のしゃべっているシーンにすればいい。大筋のストーリーはそのままに、悲劇が喜劇になるように作っていますが、感動的な場面はそのままに演じています。」
バレエを落語にする一つのきっかけになったのは、映画『じゃじゃ馬ならし』をCDで落語にしたことだったそうです。
「テレビの午後のロードショーでやっていたエリザベス・テーラーの『じゃじゃ馬ならし』をたまたま観て、これ、落語になるなあと。その頃、ピアノと落語でCDを作ったらどうかという話をいただいていたので、僕から提案したんです。上方の落語は”はめもの”と言って三味線などの音色が入ったりするでしょう。あんな感じで、自分でピアノを弾いたのと落語を合わせたCDを作ったんです。それが1枚目。その後、2枚目にバレエを落語にしようと考えたんですね。『ジゼル』を『おさよ』にして」
もともとピアノが趣味だった花緑さん。その腕前はレコード会社の音楽プロデューサーも認めていました。
「ピアノはドビュッシーの『ベルガマスク組曲』の『月の光』とか『亜麻色の髪の乙女』を弾きました。どうしても弾きたかった『パスピエ』は、右手と左手をそれぞれ録音して、合わせてもらったんですよ。本物のピアニストじゃないですから、プライドはないので。みんなでゲラゲラ笑いながら。それが30代のときかな」
今回の『花緑ごのみ』では、久しぶりに「復活! お坊ちゃんの部屋」と題したピアノコーナーもあるそうです。
新しい試みだけではなく、もちろん古典にも力が入ります。今年は五代目柳家小さんの二十三回忌。3月31日には新宿末廣亭で、昼夜ぶち抜きの柳家花緑独演会が開催されました。一門とともに豪華なゲスト陣が集結。
「昼夜ともに2階席までいっぱいで立ち見が出る興行をさせていただきました。途中、トークショーをやったんですが、うちの師匠の年表を作ったんです。0歳から87歳までの。一生懸命、本を読んで、ここで戦争に行ったとか、妻が亡くなるとか。世界堂で買ってきた模造紙を繋げたら、4メートルになりました。小さんがどういう人だったか、何があったのか、紐解いてもらいたくて。今回の花緑ごのみでも、祖父のやってた噺もやろうと思っています。まだ何をやるか決めていませんが。本当にチャレンジの会なので、うまくいくかどうか、いつもギリギリなんですよ。新しいこともやっていかないと、自分が固まっちゃうんで。前座や二つ目の頃と同じ初心の気持ちでいたいから。この会は慣れたネタはあえてやらないんです」
来年は落語家になって45周年。今年、真打になって30年。
「22歳(23歳になる年)に真打になりました。今、53歳ですから。30年経っちゃった。弟子が明後日から一人真打になるんですけど、10人いる弟子のうち、5人が真打になるんです。それで来年の春には3人いっぺんに真打になる。みんなから、花緑師匠大変そう、と合言葉のように言われてますが。でも、以前から洒落で言ってたんですよ。めんどくさいからいっぺんに真打になってくれたらいいな、って。言葉がちゃんと形になりまして。なったらなったでびびってますけど。ところがおかげさまで、3年前から抑えてたスケジュールが1ヶ月分、偶然にぽこっと空いたんです。それを弟子の襲名に当てることができました。奇跡でしょう。まさにシンクロニシティですよね」
花緑さんはそんな奇跡を起こせる人。ご自身のやりたいこともするすると叶えてきたように見えます。
「自己実現というのかな、自分がこうしたいと思うように落語もできている、お仕事も途切れず続いているという、この日常はたまらなく嬉しいですね。何か大きな願望というのはないんです。今、一番自分が欲しているものは何かというと、自分がやりたい落語をやれるということが一番幸せだと思っています。芸人としては、自分の師匠が目標なら、そういうふうになりたいというのも目標。そういう落語にちょっとでも近づいていけること。近づくというのはどういうことかというと、お客さんがそれをキャッチしていただいているということですよね。すごく感動したとか、すごく面白かったとか、また観に行きたいという評判が多くなってくるということだと思います。もう1回行こう、となる現実が、とても嬉しいですね」。