『Squall』でデビューし、ガールポップの一時代を駆け抜けた松本英子さんは、今、25周年を迎えています。コンサートのプロデュースやラジオDJもできるおとなのシンガーとして、彼女にしかできない活動の形に、新しいファンも増え続けています。
9月28日、東京・有楽町にあるコニカミノルタプラネタリアTOKYOで、松本英子さんの25周年記念の一つとなるコンサートが催されました。白いコットンのドレスに身を包んだ彼女は、まるで星空から降りてきた人のよう。年齢や生活感を感じさせない美しい気配で、25年のなかでも星や月といった言葉に関連する曲を歌い上げました。プラネタリウムに映し出される星空とあいまって、伸びやかな高音とピアノとチェロの響きがたゆといました。
25年、と一言に言っても、そこには彼女の人生がぎっしり詰まっているはずです。
「20周年のときはあっという間だなという感じがあったんです。でも、この25周年というタイミングはコロナ禍を挟んだということもあって、全然あっという間じゃなかったですね。というのも、けっこうコロナ禍はレコーディングをしたり、気をつけながらイベントをしたりしていましたから、止まってはいなかったんですね。今、息子は16歳なんですが、出産のときもそんなには長く休まなかった。ただ自分名義のフルアルバムは11年ぐらい出していない期間がありました。ライブは続けていましたが」
松本さんと言えば、ラジオDJとして知っている人も多いのかもしれません。
「25年のうち、半分くらいはラジオの仕事をしていますね。私が歌っていることを知らない人もたくさんいるかもしれません。それくらい、ラジオの仕事を優先して、歌手とイコールじゃない時期があったんです。その時期は歌を辞めようかとも思ったときがありました」
歌を辞めようと思った理由には彼女の生真面目な性格が影響していそうです。
「不器用な性格なんですよ。ラジオの仕事と歌の仕事という二足のわらじは、どちらも中途半端になってしまうなと思ったんです。それに、番組でいろんな方にインタビューをさせていただくじゃないですか。そうすると、音楽だけを一生懸命に頑張って作っていらっしゃる方々を毎日のように目の前にしていて、その方々に申し訳ない感じがして」
一時期は本当に悩んでいた松本さん。
「ライブをやっても『今日が最後のライブです』と、涙ながらに毎回言ってました。やめるやめる詐欺みたいになってた(苦笑)。ファンの方々はだんだん『また言ってるよ』という感じで信じてくれなくなりました。もう25年続いちゃってるので、もうやめるというのは止めます」
そこにはやっと見つかった答えがありました。
「音楽って、やめるとかやめないとかじゃないんだ。25年経った今、やっと気づいたんです。でも続けてこなければわからなかった。この心境に行き着くことができなかった。だからファンの皆さんに、本当に今、謝りたいです。ごめんなさい!本当によくお付き合いいただきました。これからもよろしくお願いします!」。