2024年11月現在、一番新しい『笑点』メンバーである立川晴の輔さん。まっすぐで明るいキャラクターで、新鮮な風を吹かせています。立川志の輔さんの落語に心酔して数年かがりで弟子入りしたいきさつや、「やっと慣れた」という『笑点』、そして落語への深い思い入れについて、元気に語っていただきました。
そもそも1966年に始まった『笑点』の初代司会者だったのは、立川談志さん。その談志さんの弟子が立川晴の輔さんの師匠である立川志の輔さんです。晴の輔さんが志の輔さんの落語を初めて観たのは大学1年のとき。
「渋谷にあるクロスタワーの中に当時、東邦生命ホールがありました。そこで志の輔独演会をやっていたんです。本当にたまたま観に行ったんですが、もう観終わった後は、映画を1本見終えた以上の感動と満足度だったんですよ。ハリウッド映画は何十億もかけて、すごい俳優を集めて、スタッフを集めて、1本作るわけじゃないですか。それを2時間観て感動と満足を得る。でも、うちの師匠はたった一人で、座布団の上ではなすだけです。それなのに、映画以上の感動で、もう終わった後、僕は客席から立てなくなってしまったほどでした。ホールから渋谷駅へと歩きながら、ゆっくりゆっくり、現実に戻っていったような感じでした。時間を忘れて、非日常の江戸の世界にいたんだな、と」
当時、すでに立川流は落語協会から離脱し、寄席には出られない状況でした。
「師匠は東邦生命ホールでの独演会を毎月開催していて、翌月の独演会も行ったんですよ。そのとき、心はもう、弟子になりたいと決意していました」
当時、東京農業大学に入ったところだった晴の輔さん。
「勉強は嫌いでした。でも自分の人生のアルバムの中に“大学生活”という1ページはほしかったんです。なので小論文だけで受験可能な大学を探して、浪人し、予備校で小論文の勉強だけを1年間したんです。そしたら奇跡的に私立の東京農業大学に受かっちゃった。親に高い学費を出してもらうのだから、僕ができる親孝行は『大学4年間、楽しかったです』と言葉にして言うことだろうと思いまして。楽しむには、楽しい人と出会った方がいい。楽しい人が集まるところ。そりゃ落研だ、と。別に落語に興味があるわけじゃなかったんです」
落研とは、落語研究会。ところが予想外な展開に。
「落語研究会に入ったら、おもしろい人、楽しい人なんて一人もいなかったんです。その代わり、クセのある人がいっぱいいました。クセのある人は、味が出てくるまで時間がかかるんです。噛んでるうちにだんだん味が出てきて、仲良くなるといいますか。だから、今でももちろん、仲がいいんですが」
それだけでは目的が満たされなかった晴の輔さんは、なんとテニスサークルも掛け持ちしました。
「僕は目的がはっきりしていますから。そっちには爽やかで楽しい人がいっぱいいました。両方味わうと、両方のプラス面、マイナス面がわかってきます。それで、落研では、落語とはなんぞやを求めていった。その延長線上で、志の輔師匠の落語を見たわけです」。