なんとか志の輔師匠に入門したい。当時はインターネットもなく、情報はほとんどありません。落語好きの仲間から「志の輔さんは弟子を取らないらしいよ」という話が聞こえてきました。
「そんなとき、ビートたけしさんのお弟子さんの佐竹チョイナチョイナさんが、たけしさんのご自宅の前を3ヶ月箒で掃いて、入門が許されたという話を聞いたんです。じゃ、僕は4ヶ月掃こうと思いました。ところが師匠のご自宅がどこにあるのか、まったくわかりません」
ここからの話はご本人曰く「ストーカー入門みたいになりますから書かないでください」とのこと。簡単に言うと、師匠の独演会に毎月通い、その枕の噺から、師匠の家がどこにあるかという情報を得たというのです。
「だいたいの町までわかったのに、ある日の独演会で『引っ越しまして』と言われまして(笑)。
そこまでわかるのに2年はかかっていたので、もう口から『は?』という言葉が出そうでした。また振り出し、一からです。それでも独演会に通っていたら、選挙の話になって、そこで新しい住所のある区まではわかったんです。僕は地球規模で探していますから、もう見つけたようなもんです(笑)」
砂浜の中から一粒の石を探すような捜索。結局、自宅は迷惑だろうと、文化放送の月〜金曜の朝ワイドの入りを目がけました。
「師匠が入るときに『おはようございます』。生放送が終わって出てきたら『おつかれさまです』。初日に手紙を渡しまして、3日目に『一度事務所に来い』と言われたんです。事務所で面接して連絡すると。それでも僕は文化放送に行きました。『おはようございます』と。そうしたら6日目ぐらいに『連絡するって言っただろ!』と言われてしまいまして。これはもうダメだなと思ったら、翌日、事務所の方から電話がかかってきて、面接に行きました」
志の輔師匠は「自分も談志にとってもらったから今がある。だから、断る理由はない」とおっしゃったそうです。
「断る理由はない。ただ、食えない世界だと。それから、紙一枚盗んでもクビだと。それから、人間どうしだから、周波数が合わなかったら、これはどうにもならない。そのときは辞めてもらう、と。で『そこらへんにいろ』と、いきなり車のキーと事務所の鍵を渡されたんです」
確か、談志さんが弟子に入門を許すときも「そこらへんにいろ」という言葉だったと本で読んだことがあります。
「うちの師匠も『そこらへんにいろ』と言われたようです。『そこらへんにいろ』というのは、うまくやれ、ってことなんですよ。近いと鬱陶しいし、遠いと何のためについてるんだという、その距離感を、うまくやれ、という意味。師匠が白といえば白、黒といえば黒ですが、黒と言ったところで、翌日白に変わったりもします。その塩梅も図れということですよね」
翌日から師匠の運転手にもなった晴の輔さん。その日のことをこんなふうに振り返ります。
「どこの馬の骨かわからない人間に、いきなり車のキーと事務所の鍵を渡すというのは、ものすごい器量ですよねえ」。
もともと談志師匠の弟子への教育法は「弟子は不快にする。嫌なら辞めちまえ、それか抜けて行け!」。それは立川流の教えなのです。
孫弟子である晴の輔さんは、二ツ目の昇進試験を家元、つまり談志師匠のところで受けました。
立川流が二ツ目になる試験は、落語のネタを50席、踊り、唄、講釈、鳴り物をマスターすると、かなり多くを要求されます。
「僕が入門して5年目のとき、師匠の志の輔が落語や踊り、唄を見て『二ツ目にする』と言ってくれたんです。それを家元に報告に行ったら『わかった』と。その10日後に、家元がうちの師匠に『ちょっとその孫弟子を見してみろ』と一言。『ちょっとそこにあるソレ、取ってくれ』
的に軽い一言で『ちょっと見してみろ』です。僕の人生はまた振り出しです。でも白か黒か、グレーは当たり前。どこでひっくり返っても仕方がない。それはだいぶ鍛えられていましたから」
談志師匠にいつ、どこで見ていただくのか。それをまた一から考えなくてはなりません。
「結局、最終的に志らく師匠のお弟子さん、快楽亭ブラック師匠のお弟子さんたちと5人で家元に見てもらうことになったんです。家元が空いているスケジュールをマネージャーさんにお聞きし、上野にある料亭の一室を予約して。料理も頼んで。手ぶらというわけにはいかないので、銀座三越でお土産用のステーキ肉を買って。それでやっと見てもらうことになりました」
セッティングは万端。さて家元はどんな試験をしたのでしょう。
「踊れ、と言われて踊りました。今度は唄え、と。歌っているとすぐに止められて『次の唄だ』と。自信がないと、ずーっとうたわされるんです。ブラック師匠のお弟子さんのブラ房(現在は吉幸)さんがうたってるときに、家元はトイレに立たれて、それでうたうのをやめたら、トイレから『うたってろー』と怒鳴り声が聞こえてきました(笑)」
一人ひとりの得手不得手、自信のあるなしといった心のうちを見透かすような家元。
「自信があったのは講釈だったんです。めちゃくちゃ稽古した『三方ヶ原軍記』を喋り始めたら、それは30秒で『もういい』と。自信があるのはそんな感じです。それで『なんか落語をやってみろ』と言われて『看板のピン』という噺をやったんですが、右を向くのと左を向くのを間違えてしまった。自分でも気づいていたんで、そうしたら『それはわかってんな…』と一言」
人間、緊張しすぎて凡ミスするということは多々あります。傷心の晴の輔さん。いよいよ合格発表の瞬間がやってきました。
「最初に『おめえはいい』と指をさされました。そのとき、家元の指先からレーザー光線が出て、僕の頭を貫通して、ふらふらっとなったみたいな感じがしました。緊張の極みだった。だって、これで落ちたら、うちの師匠の顔に泥をぬるんだという緊張感ですよね。人生で一番、緊張しました。そのときは乗り越えたという感覚もなかった。必死でした」
これでやっと二ツ目になれたのでした。