12歳でデビューした天才少年は、今や韓国の国民栄誉賞を最年少で受賞した国民的歌手に。
そんなイム・ヒョンジュの日本での活動はもう20年になります。2004年の日本デビューの際、松任谷由実さんのユニットFriends of Love The Earthのメンバーに迎えられ、愛・地球博(愛知万博)閉幕式で共演した『春よ、来い』は、今回、SUGIZOさんの演奏が加わり、新たに録音されています。
日韓をつなぐ思い、世界をつなぐ想いを込めた歌声のおおらかなあたたかさは、いったいどこからくるのでしょう。
イム・ヒョンジュさんの歌声は「天空の声」と評されるほど。たとえ言語が違ったとしても、誰の心にもすっと陽の光のように入ってきます。
そんな歌声は、日本語でもまったく違和感がありません。今回、SUGIZOさんも参加して新たに録音された『春よ、来い』を聴くと、発音にもまったく澱みがなく、一語一語の意味合いがしみじみと届いてきます。
この日、ユニバーサル・ジャパンで、お会いしたイムさんは、朝からの取材にも疲れを見せず、にっこりと出迎えてくださいました。
「若いときには1日に3件、4件と取材が続くと、同じ話を繰り返していると、なかなか集中力が続かないこともありました。でも40歳をあと2年にひかえて、すべての瞬間に集中していたいという気持ちになるんです。40歳は不惑、とも言いますからね。もっと世の中のことを考え、知っていくべきですし。韓国では、『女性は30歳になったときに複雑な心境になり、男性は40歳になると複雑な心境を迎える』と言われます。完璧な大人でもないし、青少年でもないですから。これからご質問をいただくと思いますが、きっとその何倍も答えてしまうと思います(笑)」
こちらを和ませようという心遣いが見える、知的なユーモア。12歳でのデビューですから、大人の世界に入るのは早かったはずです。
「皆さんにそう言われますが、あるところでは若年寄りのようだし、あるところでは5歳の子どもみたいなところもあります。ただ一つ残念なことがあるとすれば、子どもの時から、失敗しない方法を先に習得しなければならなかったんです。本来なら、子どもだから失敗しても当然なはずなのに」
どこか大人になることを急かされた感はあったのでしょう。
「そうですね。個人的な感情は重要ではない。公的な姿が重要だということを、暗黙のうちに感じていたのかもしれません。気分も体調も、悪くてもそれを表に出してはいけないし、笑顔でいるようにと。そういうマネージメントはありましたね。もちろん、そういうことが辛い時期もありましたが、それを克服したことによって、ある時期からそれが自分になりました。他者に対して親切にするというのは、もう自分の習慣になってしまったと思います」
それを「教育」と言ってしまえばなんの問題もありませんが、10代前半のイムさんを想像すると、きっと辛いこともあったはず。でも穏やかでとてもあたたかい気配に満ちたイムさんの笑顔を見ていると、きっとよかったのだと思えてきます。