いつも笑顔でいること。感情をむき出しにしないこと。そういう大人になったイムさんは、日本でもそれがとても良い要素になったと感じています。
「こういう自分になったからこそ、日本の方たちにとても親しみを感じるし、よく合うなと思えるんです。韓国ではこういう私を見て『日本の人みたいだね』という人もいますよ(笑)。おもてなし、の心かな」
日本人のよう、と言われるイムさんは、こんなところにもあるかもしれません。
「日本の方たちは、会ったときに挨拶するし、別れるときにもしますよね。繰り返し、何回も挨拶する。僕もします。でも韓国の人たちは『1回挨拶したら済むのに、なんで何回も挨拶するの』と言われたりします」
そこまで日本人に馴染んでいるイムさんが、初めて来日したのは、2004年1月のこと。
「本当に20年ですね。そのとき、私が感じた日本の方たちのおもてなしの心や親切と、今の若い方達から受ける印象は少し違う気がします。当時は99%、そういう親切心を感じましたが、最近は、3~4割くらいは自分中心な人もいるかもしれない。あくまでも、一部の飲食店などでの感覚ですけれどね」
でもそんな若い人たちのことも、どこか優しい目で見ているイムさん。
「そうやって感情を表に出す日本の若い人を見ていると、それも素直でいいことなのかもしれないと思ったりはします。世界的に見てもそうなんじゃないかな。ただ、正しいかどうかは別として、ちょっと羨ましいなあと」
イムさんの歌に、どこか古き良き日本の良さ、のような情感が漂うのは、彼が日本をそういうふうに見続けているからなのかもしれません。
「そうですね。それと、間違いないのは、私は子どもの頃から日本の漫画、映画といったカルチャーが大好きなんです。『ヴェルサイユのばら』や『ガラスの仮面』。…映画では岩井俊二監督の『ラブレター』や、北野武監督の作品もたくさん見ています。子どもの頃から、日本の感性をとても身近に感じて育ったんです」
さらにシンガーとして関わったこの20年の日本で、イムさんは日本語を習得していきます。
「以前よりは少し日本語が上達していると思いますし、何度も滞在することで、さらに理解が深まっているのではないかと思うんです。そのことが、今一度『春よ、来い』を歌わせてもらったことでわかってもらえたら嬉しいですね」。
『春よ、来い』だけではありません。イムさんの代表曲として韓国でも広く知られているのが、『千の風になって』です。
「2009年に『千の風になって』の韓国語バージョンをリリースしているのですが、それを憶えていた人たちが、2014年の『セウォル号の惨事』の際、ラジオにたくさんリクエストをしてくれたということがありました。そのことによって、私はこの曲を被災者ご遺族に対する公式の追悼曲として捧げました」
イムさんの歌う『千の風になって』が韓国全土に流れたことで、イムさん自身の見られ方にも変化が起こります。
「それまで私はポップスを歌うオペラ歌手、ポペラテナーとして知られていましたが、『千の風になって』の歌手としても知られるようになったんです。日本でも『韓国語はわからないけれど、耳に心地よく、胸に染み入る』というふうに聴いて下さるようになりました」
どちらかというと、日本の秋山雅史さんはクラシック風にお歌いになっていますが、イムさんは違います。
「私はあの歌をクラシックの唱法を使わずに歌っています。クラシックの唱法には、もちろん魅力も強みもあります。でも、感情を伝えるには、邪魔をする場合があるかもしれないと思うのです」
クラシックの唱法ではないものの方が、感情は伝えやすい。そういう意味でも、松任谷由実さんは素晴らしいと、イムさんは絶賛します。
「ユーミンさんこそ、全世界中というレベルで、天才的なミュージシャンだと思います。特に歌詞ですね。『春よ、来い』も、20年という歳月の重みを知った今だからこそ、切なさが自分の胸に響きました。私たちを取り巻くこの世界、韓国も日本も、ウクライナも、アメリカも。全世界が厳しい状況になり、大変なことが多い世の中です。でも、そういう政治や経済を超えたところで、今まさに音楽が必要だと思うんです。人には音楽による癒しが必要です」。