藤原剛太郎はある男から預かった手紙をケリー型の肩掛けバッグにしまった。二つの錠前を合わせ、丸い錠前をひねる。よし、と独りごとを言ったものの、まだ迷っていた。
この手紙を、ヒトサラカオル食堂店主の盛田幸に、渡すか否か、と。
ひょっとしたら彼女はその手紙の差出人である男の顔はもちろん、名前を聞くことも嫌なのかもしれない。ましてやそんな手紙は見たくもないんじゃないか。
ことの経緯を聞いた藤原は一旦はその手紙を「こんなもん、渡せるか」と突き返した。
すると、その男はその手紙をもう一度差し出して哀願した。
「頼むわ。お詫びやねん。本当は会って言いたい。でも突然店に行って門前払いされたら、もう俺の人生はそこで終わってしまうような気がするねん。頼むわ、藤原。一生のお願いや」
自分と同じほど、いやもうちょっと大きいガタイの男が、小さくなって頭を下げた。藤原はその男に盛田幸のことをうっかり話したことを悔やみながら、面倒な役目を引き受けてしまった。
その日は、日曜日だった。石川町では裏フェスというのをやっているらしく、元町側にも人が流れてきていた。
土日は、お決まりの軽いランチを昼時から始め、昼呑み客をメインにする。そして早くに店じまいするのが、このところのヒトサラカオル食堂の経営方針になっていた。
「あら、藤原さん、こんにちは」
「あれ?今日はもう一人の、ええと、恭仁子さんは」
「今日はお休みなんですよ。会いたかったですか」
「いや、そういうわけやないけども」
午後3時すぎ。ちょうどランチの客も引けたところだった。
「幸さん、あの、これ、預かってきたんやけども」
飲み物も頼む前に、藤原は早く渡してすっきりしたいと、バッグの錠前に手をかけた。
幸は「なんですか」と微笑んで、封筒を受け取った。
小さな字で「盛田幸様」と書いてあった。
裏返したところの名前を見ると、幸は、あっ、と小さく声を上げた。息を止めるような声だった。
簡単に真ん中だけ止めてある封を切り、便箋を広げた。
幸へ
元気だと藤原に聞きました。よかった。
横浜で店をやってるって、おどろきました。
本当にあのときは申し訳なかった。
本当にオレが悪かった。
今、オレは保険の代理店を続けながら、
企業のコンサルとかを5件ぐらいやってて、
家族とふつうに暮らしてる。
しあわせなんかどうかはようわからん。
僕はこういうもんがほしかったんかどうか、
わからん。
カンレキになりました。
いっぺん、店に行ってもええかな。
あかんかな。
健康に気をつけてがんばってください。
パグ
幸は読み終えて独りごとのように言った。
「還暦ぐらい、漢字で書きいな…」。
幸はもはや、パグという男のことを、憎んでも恨んでもいなかった。ただ、二人とも若すぎた。あのとき、21歳だった。店のボーイで用心棒だった男と、幸は東京へ駆け落ちした。二人で築地の、魚店の匂いがしてくるくらいの古いマンションに住んだ。パグは大阪の北新地の店の上客だった竹内の会社である、外資の保険の代理店に就職した。幸は銀座の店で夜働いた。すれ違いの日々が続き、パグは出来心で浮気した社内の女性との間に子どもをつくった。
やがてもといた北新地の店のママが亡くなり、葬儀を仕切った幸は店の女性たちに頼られ、店を引き継ぐことを決意する。そして、二人は別れた。
40年近く前の話である。
「藤原さん、パグとはいつからの知り合いですか」
幸は便箋を折り直し、封筒に入れてから、藤原に訊ねた。
「実は中学のときの部活で一緒やったんです。ラグビー部ですわ。あいつ、結構いい選手でね、高校も引きがあったのに、父親が事故で亡くなって、働くからって」
「そうやったんですか」
「あの人、まっすぐでええ人ですもんね。ちょっとアホなだけで」
藤原はぷっと吹き出しそうになったが、幸が遠い目をしているのを見て、咳払いした。
「そうなんですよ。めっちゃがんばったと思いますよ、あいつ。めっちゃ勉強したみたい。高卒検定も取って、ファイナンシャルプランナーとか、資格もとったんちゃうかな」
「へえええ」
幸の脳裏に、築地の狭い部屋の机の上に、ビジネス書が何冊か積んであったのを思い出した。家族ができたら、その家族を守るために、またまっすぐにがんばったに違いない。今のパグは、もはや自分の知っているパグではないと幸は自分に言い聞かせた。
謝ってもらうこともない気がした。
なぜならあのとき、パグと他の女性の子どもができたことで、幸は吹っ切れて大阪の店を継ぐことを決められたのだから。
それから、またさまざまな出会いがあり、別れがあり、そしてその店の女性たちとはいまだに友達付き合いができている。
すべてが人生で、時の流れという誰も堰き止めることのできない大河に浮き沈みしながら、同じように流れているのである。
その大河の流れに身を任せるしかないのではないか。
…幸の答えは至ってシンプルだった。
「うちはお客様として来てもらえるなら、どなたでも歓迎です。そうお伝えください」
藤原はその静かな声色に、心の奥で感嘆した。今は風のように生きていても、やっぱり、あの時代に北新地のママやった人なんやな、と。