元町にパグと藤原が二人でやって来たのは、早速梅雨入りした頃の、やはり日曜日だった。
モスグリーンの柔らかいストレッチのような素材のスーツに、Vネックの白Tシャツ。パンツは足首が見える丈で、茶色い洒落たスニーカーを履いていた。
顔はパグのままだが、日に焼けてかなり皺くちゃになっていて、艶はなかった。
若い頃のような、はち切れそうな感じはもうない。
藤原に連れられてきたという感じで、ヒトサラカオル食堂に入ると、天井から壁から床へと、目に焼き付けるように見渡した。
そしてやっと、幸と目を合わせた。
「いらっしゃいませ。ようこそ横浜へ」
「んっ」
相変わらず、イヌが唸るような、うん、ともワン、ともつかない声だった。
「立派になられて」「ん…」
藤原はその10代からの友人が、そんな困ったような顔をするのを久しぶりに見た。あれは、体育倉庫の裏でタバコを吸っているのがバレて、部活で連帯責任を問われ、休部寸前までいったとき以来だと思った。
「おまえ、けっこう頑張ったもんな。…幸さん、こいつ今、ごっつぃ上手いこといってますねん。ええと、ここはドンペリとかないわな。ロマネ・コンティもないか…」
「ないですねえ」
幸はくすくす笑って、奥から一番高いワインを出してきた。
「1ドル80円のときに買ってセラーに入れてあったOvertureです。あと何本かしかないけど、今日は空けますよ」
「いやもう、今のドルに換算したらええよ。なあ、パグ。それくらい…」
幸はそのやりとりに、あははと笑って、言った。
「もうそういう店じゃないんですよ。うちは。ふつうの店なんです」
それでも抜栓したワインをデキャンタに入れて、供した。
OvertureはカリフォルニアのトップクラスのワインであるOpus oneのセカンドである。Opus oneより優しく、ベルベットのようになめらかで、飲み口が美しい。すべてにおいてバランスが良く、そこにさまざまな展開を感じられる要素が詰まっている。
「序曲。だからね、まあ、序曲だったんですよ、あれは。人生の入り口の手前だったんです」
幸は歌うように言った。