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今かぐわしき人々 第275回
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    第275回:伊藤銀次さん(音楽プロデューサー、ミュージシャン)

    更新日:2026.3.19

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1回わかってしまうと、それまでいいなと思っていたものが良くなかったと思える。
気づき、というのはすべてですね。

 ビートルズという音の雷に打たれ、はっぴいえんどに驚き、大瀧詠一と運命的に出会い、音楽の中に生きている人生。伊藤銀次さんはそこで得たものを自らの音楽活動だけではなく、他のさまざまなジャンルのミュージシャンの制作にも生かしてきた稀有な人。大瀧詠一との出会いを中心にその才能がそこここにあふれる半生を語っていただいた。

《1》新しいロックやフォークをやろうとしている人たちと出会ってしまった

 大瀧詠一さん、山下達郎さんとつくったアルバム『ナイアガラトライアングルvol.1』から50年が経った。自らのソロデビューからも、来年で50年。そんな自身のミュージシャン活動と並行して、沢田研二、アン・ルイス、松原みき、ウルフルズといったバラエティに富んだアーティストへ楽曲提供し、プロデュースしてきた伊藤銀次さん。

「そういえば昔、大瀧さんに『伊藤銀次はフィクサーで、ロック界のキッシンジャーだ』と言われたことがありました。自分で意図している気はないけれど、気になる人がいると、会ってみたくなる。そういう自分が動くと、いつも何故か面白いことが起こるんです。毎回必ず、というわけではないけれど、面白い確率は間違いなく上がります。行かないより、行ったほうがいい」

 その想いと行動の直結は、中学時代にビートルズに出会ったときからそうだった。

「大阪の池田というところで育ちました。中2のとき、ビートルズに出会ったんです。勉強は嫌いじゃなかったし、親が歯医者で苦労して開業していて、僕は長男だったから、あとを継ぐべきだとは思っていたんです。でもビートルズを知ってから、学校から帰ってきたらまず熱病のように聴いていた。頭の中はほとんどビートルズになっちゃったんです」

 それでも勉強はできた伊藤さんは、歯科大学に入学。

「当時、日本の音楽といえばグループサウンズが全盛でしたがまだ歌謡曲っぽかったので僕はデビューしなくていいと真面目に思ったんです。でも、大学へはジミー・ペイジのような髪型で行っていました(笑)。そうするうちに、大阪で『春一番』という野外コンサートをやり続けた福岡風太とか、中川五郎、大塚まさじ、西岡恭蔵といった、それまでの歌謡曲にはない、新しいロックやフォークをやろうとしている人と出会ってしまったんです」

 当時、東京でははっぴいえんどや内田裕也が始動し始めた頃。大阪ではまだ新しい動きは少数派で、アメリカのウッドストックのような野外コンサートをやるには、企画するところから力を合わせる必要があった。

「3日間やるとしたら、誰をいつ出てもらうかとか、まだ大学に通いながら僕がやっていました。そういう意味で、プロデュースをするということが特別じゃなく、まず土台を作ることからやらないと何も始まらないわけです。バンドを組むにしても、友達はいろんなものを聴いていないから、無理やり聞かせて。ドラムの子の家はお金持ちだったので、そこを練習場にできるようにして(笑)」

 伊藤さんには学生時代からそういう物事を叶える計画性や段取りの能力があったということだろう。

「そうですね。学生運動をやっていた人も多かったけど、僕はそれで政府を倒せるわけがないと思っていました。絶対無理だと言ったら怒られたけど、夢を実現するためには現実が必要なんですよね。プロデュースを勉強したわけじゃない。自分がこの音楽を絶対にやるためにはどうするか、誰と一緒にやるべきなのか、それを考え続けているだけなんですよ」。

伊藤銀次さん

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