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    第275回:伊藤銀次さん(音楽プロデューサー、ミュージシャン)

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《2》大瀧詠一が大阪までライブを聴きにきてくれた

 ビートルズに衝撃を受けた伊藤さんは、その大学時代、はっぴいえんどという日本のバンドの音にまた大いに驚くことになる。

「はっぴいえんどを初めて聴いた時に、びっくりした。ベースはブンブン言っているし、ドラムスはどんどん言っているし。すごく洋楽に近いんです。自分たちのバンド『ごまのはえ』もこんな音でレコーディングしたい。当時はプロデューサーと名乗っている人はいなかったし、でもはっぴいえんどは誰がこのサウンドを作っているのか。たぶん、細野晴臣さんか大瀧詠一さんのどちらかだと思った。でも細野さんはサウンドが東京っぽくて生真面目だなあと」

 そのとき、伊藤さんのマネージメントをしていた福岡風太さんが、大瀧さんのソロのファーストアルバムのテスト盤を入手して聴かせてくれた。

「4曲ぐらい入っていました。『いかすぜこの恋』という曲があって、歌詞がプレスリーの曲のタイトルを並べてできていて、サウンドも完璧にプレスリーっぽいんですよ。大瀧さんの歌い方も。この人はニューロックだったはずなのに、ポップスもできるんだと。こういうユーモアのある人なら、僕ら大阪のヘンテコなバンドも面白がってくれるんじゃないかと。それで、90%ダメ元で、とにかくお願いしてみたんです」

 なんと大瀧さんは大阪の高槻市民会館のライブまで伊藤さんのバンド「ごまのはえ」のライブを観に来たのだった。

「その夜、大瀧さんが僕が住んでいたアパートに来てくれて、どんな音楽が好きかとか、根っこにあるのがマージー・ビートでとか、そんな話を聴いてもらった記憶があります。
僕がプロ野球の南海ファンだと言うと『南海ホークスとしてパリーグでやっていくつもりなら僕はやらない。両リーグで覇権を取る、日本シリーズで勝つという気持ちがあるなら、東京へ来なさい』と言われました」。

 こうして1973年3月、伊藤さんはバンドごと、福生市にある大瀧さんの近所の一軒家に移り住むことになった。

《3》「ビートルズの後ろを追いかけるな、横に並べ」と言われた

 大瀧さんは言葉で説明したり、何か教えてくれると言うことはない人だったようだ。

「ただね『そのサウンドへ行きたいとは思っているけど、いけないだろうな』と思っているところへ連れて行ってもらった感じがありますね。わかっていることはわかるけど、わからないことって見えないじゃないですか。でも1回わかってしまうと、不思議なもので、それまでいいなと思っていたものが、あんまり良くなかったと思える。気づき、というのはすべてだと思いますね」

 大瀧詠一が何を好み、どんな暮らしをして、それをどう音楽として表現していくのか。伊藤さんはそれを同じ空気を吸うことで吸収していった。
 生活の中では、こんなこともあった。

「大瀧さんは日本茶の淹れ方まで教えてくれました。お茶というのは、飲む分だけ淹れるのが美味い。急須に2人分だったら2人分。それも予め、茶碗にお湯を注いで温めて、一旦、それなりの温度まで冷ましたものを淹れる。そして、1分待つ。2人分なら交互に注いで、濃さが同じようになったら、最後の一滴はもう大きく急須を振っていれろ、と。親の仇だと思って最後の一滴まで注げ、と。そうやって飲むと本当に香りが立っていて、美味しいんですよ。そういうね、みんなが見過ごしてしまいそうなことを言っていました。記憶じゃなくて、シーンとして浮かぶんですよ。そのシーンはね、記憶の階層の割と浅いところにあって、僕の日々にいまだに出てくるんです」

 その後、バンドを解散して伊藤さんは一人で都内へ行き、新たに音楽活動をすることになった。

「大瀧さんにプロデュースしてもらったのに、バンドが解散して、そのバンドが解散した責任はバンドリーダーだった僕にあるわけで。そこまでしてもらったのに、何も返せなかった。僕だけでも福生に残って、大瀧さんの仕事を手伝うべきかとも考えました。でももしそこに残っていたら、僕は大瀧さんに甘えたままになってしまうと思ったんですよ。絶対に勝てない人ですから」

 その時は、大瀧さんは伊藤さんに何も言わなかったという。その後、何年か経って、電話があった。

「ナイアガラは山下達郎君もいなくなって、僕もいなくなって、大瀧さんは孤軍奮闘でやっていたけど、売り上げは立たなくて、倒産することになったんです。そのとき、大瀧さんから僕に電話があり、福生のプライベートスタジオを閉めるすき焼きパーティーをやるから、来てくれと。そのとき、すき焼きを食べながらいろんな話をしていて、大瀧さんがこう言ったんです。『君が福生を離れたときに、これで銀次は大丈夫だと思ったよ』と。

 福生時代、ほとんど大瀧さんの内弟子のような存在だった伊藤さん。伊藤さんにとって、大瀧さんは「背中を見て育った」父親のような存在だったのかもしれない。

「教える、と言うことはしなかったですね。とにかく言っていることややっていることを自分のものにしろよ、と言うような。『一を知りたければ十を知るんだぞ』と。そんなことを言ってくれるんだけれど、そのときの僕にはわからないことも多かった。でも、後で何か体験したときに『あ、あのときこう言われたのはこのことか』とわかるんですよ」

 一番大きかったのは、こんな言葉だ。

「『君はビートルズが好きなんだよね。好きなのはわかるけど、いつまでもビートルズの後ばかり追いかけてちゃダメだ。ビートルズの横に並ばないと』と。つまりね、ビートルズと同じ視点に立たないとダメだということなんです。彼らがカバーした曲のオリジナルを聴いてビートルズがそこから何を吸収したのかという視点を持て、ということなんですよ」

 数年前、大谷翔平がWBCで日本選手団に「大リーグに憧れるのはやめましょう」と言ったことを思い出す。
 憧れではなく、同じステージに立つということだ。

「作られているものがどういうふうにして作られたのかを見つける、ということが大事なんだと思います。そうやってバトンを受け取って、自分なりのやり方で作って、それを聴いている人がまたそのバトンを受け取ってオリジナルにしていく。そういうふうに音楽って繋がっていくものだと思うんです」。

伊藤銀次さん

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