遠州流茶道は440年も続く流派で、徳川将軍家の茶道指南役を務めたお家柄。「綺麗さび」と呼ばれる独自の美意識を引き継ぎ、ラクロスの日本代表として活躍した小堀宗翔さんも、茶人としてこれを広めています。アスリートと茶道をつなぐという、彼女ならではのお役目も備わって、活躍の場が広がっています。
江戸初期の大名茶人であり、総合芸術家であった小堀遠州。その茶道は千利休、古田織部と続いた茶道の本流を受け継ぎつつ、自らの豊かな美意識を吹き込んだものとなり、440年続いています。
当代の13世家元は小堀宗実氏。小堀宗翔さんは、その次女として生まれました。でも幼少の頃から特に茶道の稽古をしたわけではなかったそうです。
「お稽古を始めたのは大人になってからです。子どもの頃は運動が得意で、打ち込んでいたんです。最初は父の影響で剣道を始めたのですが、姉、私、弟ときょうだい3人でやっていて、とても楽しかったんです。ずっとショートカットで、運動しているのが得意でしたね。ラクロスを始めたときは、父は多少悲しんでいましたけれど、試合にも応援に駆けつけてくれていましたね」
愛らしい宗翔さんが精魂傾けてやっていることを、お父様は取り上げたくなかったのではないでしょうか。その応援に応えるべく、宗翔さんはラクロスの選手としてどんどん成長していきました。
でもやがて、「世界」という大きな壁が立ちはだかりました。
「夢だったワールドカップに出たときに、いろんな壁にぶつかったんですね。言葉、食事、試合をする環境。本大会の前に世界ランキング1位のアメリカ代表と戦ったとき、日本代表がダブルスコアでボコボコに負けてしまったんです。それで、心がポッキリ折れそうになって」
そのとき、思い出したのが、お茶でした。
「いつもお抹茶を点てられる道具を茶箱で持っていっていたので、それでお茶を点てて、チームメイトとひととき過ごしていたんです。なんか悔しいというか、何のためにやってきたのか。みんな同じような気持ちでした。そこへ、世界中の人たちが集まってきてくれて、抹茶というもの、茶道という文化に対してすごくリスペクトを表現してくれたんです。そのとき、一人間としても、憧れだった日本代表としても、認められたという瞬間がありました」
国を超え、人種を超えて、一服のお茶に心を一つにする。そこには茶道の本当の凄さがあったのです。
「そこから、私は茶道というものの本質に気づいたのです。競技が上手いとか、強いとかいうことだけではなく、日本の心というものを持って戦ってこそ、真の日本代表と言えるんだなと。心が折れそうな時に立ち戻れる場所、自分自身のアイデンティティはここにあるんだなと」
それをきっかけに、宗翔さんはアスリートの人たちのための茶会『アスリート茶会』を始めました。
「自分が好きでやってきたスポーツというものと、茶道というものが自然につながって、『アスリート茶会』は私がやりたいことだし、やらなきゃいけない使命だと思うようになったんです」。