HOW TOに縛られて窮屈になるよりも、心が湧き立つWOWを大切に。赤澤岳人さんは、壁画アートを中心に街にワクワクを仕掛ける達人。東京・外苑前にあるオフィスは、なんとなくふらっと入ってみたくなるアジトのような場所。会社員を辞めてやりたいことに賭けたこれまでと、まだまだ海外へも進出したいというこれからを語ってくださいました。
大学を卒業して古着屋で働き、その後、一念発起してロースクール(法科大学院)へ。その後、どう生きたらいいのかと考える模索の時期を経て、赤澤岳人さんが会社員になったのは、29歳のときでした。
「初めて就職したのが人材派遣の会社です。会社自体もベンチャーだったので、新しいベンチャーを生み出そうという社内的な動きがあり、新規事業を計画してそれがコンペティションで優勝して事業化したこともありました」
そもそも、話術が巧みで明るい印象の赤澤さんは、会社員時代もイベントの司会などを頼まれることが多かったようです。2015年、知り合いの家具屋の社長が主催したイベントで、司会を頼まれました。
そこでライブペイントの演者として知り合ったのが画家の山本勇気さんでした。
「別に山本に運命を感じたとかそんなラブストーリーみたいなものはないんですけど(笑)、まあウマがあった。彼自身、もともとは建築をやりつつアート活動をやっていた。当初はお手伝いをしていたんですが、本格化していくにあたって『ちゃんと手伝ってくれないか』という話になったんです。僕はちょうど会社で、新規事業から本体へ戻って来いと言われていて、そろそろ会社員を卒業したいなと思っていたタイミングだったので」
会社にいることもまあまあ楽しく、悪くはなかった。でも、赤澤さんは経営者になりたいという気持ちが強かったようです。
「固定給をもらってなんかやらなきゃいけない、というのは自分には違う気がして。昔、ある起業家の方が語っていた話が忘れられなくて。その方が言うには『経営者と会社員の違いは、野生のライオンと動物園のライオンの違いだ』と。動物園のライオンは毎日同じ時間に餌をもらえて、その餌を誰かに奪われるとか、もっと言えば、自分が喰われる側になることはない。創業者、起業者は、野生のライオンなんだと。餌にいつありつけるかわからないし、餓死するかもしれない。襲われて喰われる側になるかもしれない。だけど、心臓が脈打っているような獲物にガブっと喰らい付いて、血の味を感じる。その旨みを味わったら忘れられない。だから野生のライオンになるべく起業したんだと言うわけですね」
かなり極端なたとえですが、赤澤さんはその話に感じ入りました。
「親父も脱サラして会社を起こしたので、身近に見ていましたし。自分自身が、社内でベンチャーをしてうまくいかなかった時に、会社のせいじゃなく、自分のせいでしょ。それでも給料をもらえるのはありがたいこと。でも、やはり自分は違うと思った。それで固定給が出ない世界に身を置いてみようと思いました」
実際、34歳で株式会社OVER ALLsを起業し、2年間は収入に苦しんだ赤澤さん。
しかし、人を雇う側に立ったとき、若いアーティストには、安定収入をと考えたそうです。
「山本以外の若手にもチャンスを与えられたらと思って、固定給で始めたんですが、難しいですね。僕たちみたいな「明日は食えるかわからない」みたいな苦労はさせたくないから固定給にしたものの、それをするとハングリーさは失われる。最初は『チャンスに感謝して何が何でもやり遂げます!』とか勇ましいこと言うけど、そのうち半年、一年経つと不平不満が出てくる。だんだん『これしてくれない、あれしてくれない』とクレクレ君になる。動物園のライオンどころかペットみたいになる。アーティストにとっても固定給って怖いんだなと思います。ま、最後はやる奴はやる、やらない奴はやらない、です。それを言ったら身もふたもないですが」。