中森明菜の『少女A』、チェッカーズの『涙のリクエスト』、郷ひろみの『二億四千万の瞳』…。1980年頃から大ヒット曲の作詞をあまた手がけてきた作詞家であり、脚本、映画監督、プロデュースなども手掛ける才人、売野雅勇さん。現在もロシア出身の女性ユニットMax Lux(マックス・ラックス)を売り出すなど、歌を楽しく伝えようという思いをもち続けています。常に時代を読み、トレンドをつくってきた粋である売野さんの、香りとの歴史もうかがいました。
コピーライターから作詞家へ。1980年代、そんな華々しい転職を果たした売野雅勇さん。時代は賑やかで、次から次へと流行が現れ、みんなが新しいモノを欲しがりました。雑誌が続々と創刊され、ファッション業界ではDCブランドが人気になり、街ではディスコやカフェバーが乱立しました。
「1980年の夏が終わる頃に、レコード会社のディレクターから『作詞をしてみませんか』と電話をもらい『はい、やらせてもらいます』と気軽に引き受けてしまったのが、すべての始まりですね」
それまでも、アーティストの広告のコピーなどを書いていた売野さんでしたが、詞を書いたことはなかったのだそう。
その後のなりゆきと活躍は著書の『砂の果実』(朝日新聞出版)に詳らかですが、
作詞という仕事が思いつきやインスピレーションだけでできるものではないということがよくわかります。
「作詞家は気楽な稼業と思われがちです。よく『言葉が降ってくる』というように表現される方がいますが、それだけではたくさんは書けないですね(笑)。机に向かって、締め切りがあって書く。頼まれた以上、いい絵を書かなきゃいけないし、売れないといけないし。一番思うのは『書けないと嫌だな』ということ。それくらい、今もプレッシャーがあります」
一方で、考えつくした先に、思いがけない歌詞が出来上がるときの喜びもあります。
「セレンディピティという言葉がありますが、一語を追求していくと、その先に予想外な言葉やストーリーが浮かんで、最初に想像したこととまったく違うものが出来上がる。そういう奇跡的なことは、確かにあります」。