売野さんの詞の奇跡を紡いできた背景には、香りの存在がずっとあったようです。
そして香りとムード、はとても近しいとも。
「僕の来し方はずっと香りとともにあったような気がします。香りというのは、最も官能的なもので、人への響き方がたとえば『ムード』という言葉と似ています。僕はムードというものをとても大事にします。たとえば映画でも、ムードを好きになる。ストーリーはもちろん大事だけれど、ストーリーを見せられるだけだったら、活字を読んでいるのと同じでしょう。ムードが出せない映画監督は尊敬できない」
オリンピックの開会式の選手入場にすら、ムードのあるなしを見てしまうそう。
「オランダの選手がとてもかっこよかった。その判断は、ユニフォームだけでも、身体だけでもないですね。映画、演劇、総合芸術はすべてムードだと思いますね」
ムードも香りも、目には見えないもの。売野さんが最初に出会った香りは、初めての恋人がくれたものでした。
「大学生のとき、初めての恋人が香水を贈ってくれたのです。REVLONのPUBでした。当時はまだ男が香水をつけるなんて『くせえよ』なんて言われてしまう時代だったけど、つけていましたね」
その後は香水でちょっとした失敗も。
「先端を求める人たちの間ではスノビッシュという言葉が流行ってね。リゾートに行って日焼けするのがかっこいい、と。みんなでこぞってグアム島なんかへ行って、日焼けしたんですよ。デューティーフリーでオーデコロンを買って胸元にバシャバシャ塗って太陽の下にいたら、すごいしみになっちゃってね(笑)」
作詞家になる前に‘77年頃、入社した広告代理店では、こんな上司もいました。
「アメリカ帰りの外資担当ルームの室長が、当時はやっていたアラミスを撒き散らすほど付けていました。僕はサンローランをつけていたかな」。
仕事のなかで、香りがリアルに登場するのは1990年代後半。中谷美紀さんのアルバム『食物連鎖』『CURE』は、坂本龍一さんがプロデュースし、『MIND CIRCUS』など売野さんが書いた傑作が生まれました。その頃、中谷美紀さんが、コンサートで実際にアロマを焚いたのです。
「彼女は『CURE』のサービストラックで自身で『アロマスケープ』という詞も書いていますよ」。
今も売野さんは、生活のなかに香りを漂わせています。
「昔はウッディやフローラルもたきましたが、仕事をするときはちょっと邪魔になる。今は頭をスキッと冴えさせてくれるシトラスが好きです」
一昨年には35周年のアニバサーリーを迎えた売野さん。3年後の40周年にはやりたいことがあります。
「ロックンロールミュージカルをやりたい。その昔、東京キッドブラザースを見て感動したような、ね」
作詞家として、プロデューサーとしてそのスタンスを自らこう決めています。
「ヒット曲は誰が作ったか、なんて関係ないでしょう。ヒットしたのは、買う人がたくさんいてヒットさせたからなんですから。だから、作詞家は威張っても仕方がない。自我が肥大してオレ様になっちゃうのは違う。作った歌を誰かが歌い継いでいってくれたら、僕はそれで嬉しいのです」。
売野さんのつくる歌詞のひとつひとつを絵のように思い出すとき、そこには風景や人の美しいフォルムがあり、ムードが漂います。これからもそれらの作品は、音楽史上に、そして私たちの心のなかに、ふと香り立つことでしょう。
Max-Lux CDデータ
2013年に売野雅勇プロデュースで結成されたMax-Luxは、ロシア出身の女性ユニット。「美しく、歌がうまく、性格がよくて、クレージーキャッツのように面白い」というコンセプトでデビュー。現在もライブ活動を行っている。
天国より野蛮 CDデータ
売野雅勇作詞活動35周年記念CD
砂の果実 書籍データ
出版社: 朝日新聞出版 (2016/9/7)
ISBN-10: 4022514078
ISBN-13: 978-4022514073
発売日: 2016/9/7
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1
撮影 ヒダキトモコ
https://hidaki.weebly.com/