「輝くソプラノ」と呼ばれる美声と艶やかな姿で世界の観客を魅了し続けるオペラ歌手、田村麻子さん。NY在住の彼女が7月にまた来日、様々なヒロインを演じ分けて歌う「オペラティックコンサート」を開催します。歌に魅せられ、歌を魅せる彼女の情熱に迫ります。
多くの人が幼少期にピアノを習い、そこから声楽へと道を進むこともありますが、オペラをうたう歌手になれる人はダイヤモンドの原石さながらに少ないはず。
田村さんはどんな子ども時代を送ったのでしょう。
「 私は4歳のときからピアノを始めましたが、母は大変なスパルタ教育でした。私も今、6歳の娘を育てていてその気持ちはやっとわかってきました。娘に幸せになってもらいたいという一心なんですね。私は母の思いに応えるべく『ピアニストになるために生まれてきたのだ』と自分に言い聞かせ、20歳までは国際的なピアニストを目指して、多い時には1日16時間弾いていました」
東京芸大の付属を目指して京都から東京の先生のところへ月2回、レッスンにも通っていました。ところが、そこでその目標は揺らぎ始めます。
「先生に『手が小さすぎる』と言われたのです。リストやラフマニノフの曲は、片手で1オクターブ以上を弾くものもあります。力士は痩せていてはいけないし、受け口の人はフルーティストにはなれない、それと同じようにピアニストにはそれ相応の手の大きさが必要だと言われたのです。ショックでした。チェンバロやオルガンはどう?と言われても、私はピアニストを目指してきたから」
15歳の早すぎるロスト・アイデンティティ。呆然としてしまった田村さんを両親は息抜きにとミュージカルに連れていってくれました。『青い鳥』をモチーフにした『Dreamin’』に、彼女は夢中になりました。
「帰りに興奮して歌っていたら、母は『この子、歌手になれるかも』と思ったようです。それで芸大の声楽科を目指すことに路線変更しましたが、歌が仕事になるとは夢にも思っていませんでした。歌は自分の喜びであり、遊びだったのです」
やがて彼女はイタリア人が演じる本当のオペラ、『ランメルモールのルチア』をテレビで見てショッックを受けます。
「心を鷲掴みにされて、何百回も見ました。この人たちのようになりたい。高3からは声楽に向かって心から頑張りました。それまでは『親に頑張らされている』という気持ちも少しはあったけれど、吹っ飛びました。人という楽器はこんなに人を原始的に感動させられるんだ。そして学ぶにつれ、自分は歌えると思っていたけれど、この楽器は一朝一夕で鳴るものではないのだとわかっていったのでした。それから20年かかりましたね。私は『ベルカント』と呼ばれる最高の歌唱法を身につけたかったのです」。