女性ジャズボーカルがブームとなり、多くのシンガーを輩出した1970年代。その最後に登場した実力派として40年歌い続ける大野えりさん。ハンク・ジョーンズやエディ・ゴメスらレジェンドと言われる本場のアーティストとのレコーディングやライブを行ってきたまさに日本のレジェンド・ボーカリストである彼女が、この夏、新宿ピットインで初のライブレコーディング。11月にそのアルバムが発売されます。
ネイティブと思えるほどの英語の発音と、伸びやかな声の響き。大野えりさんの才能は、学生時代から出色でした。
「同志社大学に入って、沖縄に演奏旅行に行くって言う宣伝文句に誘われて軽音楽部に見学に行ったら、いわゆるジャズ研でした。真剣にジャズを追求してるっぽい人が多い中で、『何ができるの』と言われて思わず『歌!』と答えたのです。楽器だと練習しなくちゃならないから面倒だけど、歌なら幼稚園から歌っているし、洋楽も好きだしくらいの軽い気持ちだったのだけれど(笑)、歌ってみたらなんだかびっくりされちゃって」
そのとき歌ったのはスタンダードの『Day by Day』か、ボサノヴァの名曲『The boy from Ipanema』だったとか。
「1年生の夏休みにはレパートリーが3曲しかなかったのに、先輩に誘われて京都の高野川の畔にあったホリディインの中のバーで初めて歌いました。もらったのは360円くらいだったけど、歌うことでお金をもらえるんだというのはすごく新鮮な驚きでした。以来卒業するまでライブハウスで歌って生活してましたね」
大学3年生のときには山野ビッグバンドジャズコンテストに出場する同志社大学サードハードオーケストラにゲストボーカリストとして出場しました。
「『初出場だから力貸して』と言われて出たのです。そうしたら、バンドは最優秀賞をとり、私は初めてボーカリストとして審査員特別賞をいただきました」
えりさんは意識していませんでしたが、そのとき、審査員の間ではすごいボーカリストが現れたと話題になったようです。
すぐに東京に出ていくほどのコネクションがありませんでしたが、彼女はもう心を決めていました。
「今はなき情報誌のぴあや、シティロードをもってライブハウスをまわりました。薄い縁をつないで、飛び込んで。そのなかでミンゴスムジコというジャズクラブの人が気に入ってくださった。それで、2ヶ月に1回、2週間は東京で音楽活動をするようになったのでした」
日野皓正・元彦兄弟、佐藤允彦等々。第一線のジャズ・ミュージシャンとも出会い、プロの歌手としての刺激的な時代が始まりました。
「日野元彦さんが『えり、早いことこっちへ出てきたほうがいいよ』と言ってくれて78 年の6月に本格的に上京しました。いろんなところに紹介してもらって、『ミスティ』という人気クラブの水曜日に入って。9月には3社からレコーディングのオファーをいただきました」