今年1月、ヨウジヤマモト2019〜2020秋冬メンズパリコレクションでデザインが採用された紋章上絵師の波戸場承龍さん。
日本古来の紋の文化を今の時代のアートへと昇華させているその仕事について、上野にある工房でお話を伺いました。
「パリコレ」とは、年に2回フランスのパリで開かれるファッションブランドの新作を発表するハレの場。そのパリコレクションに1981年から参加している山本耀司さんのメンズラインで、今回、紋章上絵師・波戸場承龍さんの描いた蜘蛛や蠍といったモチーフがテキスタイルとボタンに使われました。
昨年3月に、とある方からのご紹介で耀司さんとお目にかかる事になったんです。僕はずっと耀司さんのつくる服が大好きだったので、すごく嬉しくて、夢の様でした」
それから5ヶ月経った昨年の8月。耀司さんのオフィスから波戸場さんに突然連絡が入りました。 「会社に伺うと、耀司さんはご不在でしたが『昔ながらの家紋のデザインやモチーフではなく、ヨウジヤマモトの世界観を波戸場さんなりに表現していただけませんか』と言われたのです。1ヶ月かけてコブラ、ラムスカル、タランチュラなど、円を組合わせて描き出す波戸場承龍の代表的な技法「MON-MANDALA」で5つほど描いたものをお送りしたら『スタッフ皆、感動しています』とお返事を頂きました。さらに12月10日に耀司さんがブルーノート東京でライブをするからそこで着るTシャツもデザインしてほしいと依頼が来たのです。「僕は11月に香港で展覧会が決まっていて、15日から18日まで香港で作業が出来ませんでしたので帰国してからライブ前日の12月9日までにすべてのデザインを提案しました」
あわただしく描いたとは思えない緻密な絵。黒の世界に見事なシナジーを加えていました。結局、テキスタイルのデザイン、ボタンのデザイン。38点中、24点に波戸場さんのデザインが使われることになったのでした。
「僕は息子にヨウジ、と名前をつけたほど(ご子息は耀次さん)、山本耀司さんを敬愛していましたから。自分で着るのも好きで、青山の本店の前を通る度にいつか一緒にお仕事ができたらいいなと夢見ていました」
夢を叶えるきっかけになったのは、波戸場さん一家が「家紋」を「デザイン」の世界へと広げたことにあります。
波戸場さんの父親、源さんは、大正9年生まれ。昭和39年に三越で初めて色紙に家紋を描いて世に出した人だそうです。そして、波戸場さん自身は、2007年に江戸小紋の柄と家紋を組み合わせた作品を発表しました。2010年には今の上野に工房を構え、ご子息とともによりデザインの世界へと踏み込んでいくことになります。
「企業のCIのマークの依頼を始めて頂き、納品形態もAIデータでの納品。息子がデータ化してくれて、これはビジネスになるなと、本格的にMacを導入しました。最初は僕には難しいかなと思いましたが、正円が描けるツールを教わった事でだんだんと感覚で描ける様になり、正円を組み合わせて描く技法を編み出しました。ソフト上で紋を描くときにたくさん円を描くのですがその軌跡が美しいなと感じ、全体像を見ると曼荼羅のように見えて『紋曼荼羅』と名付け、作品にしました」
滝を登る鯉の絵の周囲に描かれる円の重なりは、まるで光る水面の波紋のようにも見えます。
2016年NHK Eテレの番組『デザイン あ』子どもたちのデザイン的な思考を育てる番組のディレクターから子供に紋の話をして欲しいとの相談を受けた時、家紋はこんな描き方をしていてこんな見せ方をしたら面白いんじゃないかと二人で力説した結果「もん」というコーナーができ、先日19作目が流れました」
波戸場承龍さん、耀次さんの世界はどんどんとアートになっていきます。きらきらと輝くスワロフスキーとのコラボレーション、ボードに太鼓の鋲を打ち付けたオブジェ、イタリアのバッグブランド「FURLA」の90周年を記念したコラボ商品など。 一昨年はとうとう、紋を立体的に見せる作品も完成させました。それが、ウッドデザイン賞特別賞を受賞した、屋久島の地杉のオブジェ「USARA」です。
「50〜60年前に植林した屋久島の地杉の存在を知り、これを広めてほしいと言われて考えました。杉玉を2081個、丸く加工してもらい、荒川技研のワイヤー615本とグリップを使って、立体的に紋をつくりました。前から見れば梅、横から見れば桜に見えるように。
二人の共同作業は、昨年1月にオープンした野村不動産初のホテル「NOHGA HOTEL」(東京・上野)のデザインにも生きています。各階のエレベーターホールには、額装した紋曼荼羅、1階とスイートルームには太鼓の鋲の家紋アートが。カードキーや、サインなどトータルに波戸場親子のセンスに貫かれています。 それはとてもさりげなくて、シンプル。それでいてほのかなぬくもりがあるのです。
「省略の仕方があるのです。それが日本的肝要ですね。円で描くということ自体、簡素化の始まりですから」。