フレグラボ|日本香堂

人と香りをつなぐwebマガジン

Fraglab
  1. HOME
  2. スペシャルインタビュー「今、かぐわしき人々」
  3. 第47回:北京一さん(パントマイマー、漫才師)
今かぐわしき人々 第47回:北京一さん(パントマイマー、漫才師)
    1. 特集
  • スペシャルインタビュー「今、かぐわしき人々」
    第47回:北京一さん(パントマイマー、漫才師)

    1. シェア
    2. LINEで送る

 ヨーロッパに学び、稀少な本格派パントマイマーとしての活動を長らく続けながら、ミュージシャンとしてのライブ活動も行う北京一さん。最近ではまた北京一京二の漫才も復活させ、話題になっています。「好きなことをして生きる」ことを突き詰め続ける原点のような北さんに、身体表現の面白さを語っていただきました。

《1》

 北京一さんが芸能界に脚を踏み入れたのは19歳のとき。当時、コミックマジックで人気のあったゼンジー北京さんに弟子入りし、アシスタントをしていました。そのとき出会ったのが、当時大阪のグループサウンズとして人気だった「ファンキープリンス」の2代目ボーカル、松井信。

「同じ事務所だからよく会っていて『漫才をやってみようか』という話になったのです。そこでコンビを組んだのが北京一京二。当時の名プロデューサー、澤田隆治さんに『やすきよの次は君らだ』と言われ、テレビで何本もレギュラーをもらいました」

 しかし、人気がうなぎのぼりになるなか、京二さんは再び音楽の世界に戻り、北京一さんはすべてを捨ててアメリカへ行くことに。

「結局漫才は2年しかやりませんでした。ヒッピージェネレーションがあり、私もテレビはださいという空気に乗っていたんでしょう。僕は1974年に渡米してアメリカで家族をもち、次第にコメディからパントマイムの世界にひかれていきました」

 アメリカ、ハリウッドのパントマイムではどうも納得がいかない。もっともっとパントマイムの真髄を知りたい。好きなものはとことん極めたい… そう思う北さんがたどり着いたのは、ヨーロッパ。パントマイムの元祖、エティエンヌ・ドクルーでした。

「1930年、パリで、ジャック・コポーが学長となってヴィユ・コロンビエという学校ができました。そこで身体演技を教えていたのが、エティエンヌ・ドクルーで、彼のクラスにいたのがその後有名になるマルセル・マルソーであり、ジャン・ルイ・バローだったのです。私は1981年にドクルーのところへ行きました。まさに思っていたパントマイムがそこにありました。セリフを超えた肉体の演技があったのです!」。

北京一さん

  1. 1/2

最新記事

  • スパイスとお香の香りが混じり合う、モロッコに根を下ろして。
  • 第7回:熊谷直久さん・畑元章さん・小仲正克社長
  • スペシャル・インタビュー 第198回:松尾貴史さん
  • スペシャル・インタビュー 第197回:小谷実由さん
  • 第6回:中原慎一郎さん・小仲正克社長
  • スペシャル・インタビュー 第196回:藤田朋子さん

スペシャルムービー

  • 花風PLATINA
    Blue Rose
    (ブルーローズ)

  • 日本香堂公式
    お香の楽しみ方

  • 日本香堂公式
    製品へのこだわり

フレグラボ公式Xを
フォローする