ブリキのおもちゃコレクターの第一人者と世界に認められ、今やミュージアムは5箇所に。ときめくものを集め続けて生きる北原照久さんは、その前向きな人生哲学にも人気と信頼が集まっています。「ツキ続けている」男の生き方と、そのお宝をフレグラボ読者にもおすそ分けいただきましょう。
横浜・山手の瀟洒な住宅街の一角に、北原照久さんの「ブリキのおもちゃ博物館」があります。
車、人形…。ぎっしりと並ぶブリキ製のおもちゃは、どれも明るくここで生活しているかのよう。
映画『トイストーリー』のジョン・ラセター監督が、北原さんのコレクションから同映画を思いついたというのは有名な話。
「映画が人気になった後、ジョン・ラセター監督はここへ遊びに来られました。ラセター監督には、スリンキー・ドッグのモデルになったものをプレゼントしましたよ。お返しにアカデミー賞のときにタキシードを着たウッディをプレゼントしてくださるはずなんだけど、取りに行けていないな(笑)」
しかし、北原さんのコレクションのなかで、そこまで有名なブリキのおもちゃたちは、全体の2割程度なのだというから驚きです。
「働いて稼いで、買う。コレクション用の倉庫は1200坪あるのです。だから、今5箇所に常設のミュージアムがありますが、7〜8割は倉庫にあります」
そのコレクションは現代美術、広告物など多岐に渡ります。明治、大正、昭和初期の広告のコレクションもたくさん。
たとえば現代作家では、ムットー二こと武藤政彦の自動人形のコレクションも。
「僕に33台作ってくれました。ひとつひとつに物語があります。『private live』というこの作品は、デミ・ムーアさんがここへいらっしゃったときに、感動して涙を流してくれました」
『private live』の物語の舞台はライブハウス。もともとトランペット奏者だった男は今はそのライブハウスの掃除夫をしている。モップをもって座っていると、トランペットのマウスピースを見つける。それを眺めているうちに、入り口のドアがぎぃーと開き、ステージの緞帳が開いて、その奥に彼が愛した歌姫が現れ、彼だけのために歌う。…
ビリー・ホリディの声が似合う、かすれた夢を見るような世界がそこに現れました。
北原さんがコレクションに目覚めたのは、19歳のとき。オーストリアのインスブルックへ行ったことがきっかけでした。
「僕は高校時代からは真面目に勉強をしていたのだけれど、当時の大学は学園紛争で、授業がなくなったりしていたのです。親はスポーツ用品専門店、特にウィンタースポーツのものを扱っていたので『インスブルックへ行って好きなものを勉強してこい』と言ってくれ、1年ほどいました」
そこで北原さんが見たものは、古いものを大事にし、好きなものに囲まれて暮らす、ヨーロッパの人たちのゆたかな暮らしだったのです。
「ひいおばあちゃんの使った鍋が暖炉の上の壁に飾ってあって、思い出話をしながら、その鍋でじゃがいもやソーセージを煮てくれる。そういう暮らしのひとときは、彼らもうれしいけど、作ってもらう僕もうれしい。いいなあ、こうして好きなものに囲まれて暮らすのは、としみじみ思ったのです」
帰国後もそんな思いを持ち続けた北原さん。ある日、粗大ゴミに八角形の振り子のある柱時計が捨ててあったのを見つけました。
「こんな古い立派な時計をヨーロッパだったら誰も捨てない。それで、持って帰ってきて油をさしたら、動き出したのです。なんだか自分が命を吹き込んだような気がして嬉しかったな。古き良きものは、空気を和ませるし、時代を拾ってきたような匂いがするでしょう。それから51年、集めっぱなしです!」
最初は時計。そしてラジオ。
「インスブルックにあった真空管のラジオから、偶然、日本語の歌が聞こえてきたことがあったのです。それで、ラジオ。実家は東京・京橋で、銀座の不二家に連れてってもらう楽しい思い出もあったから、等身大のペコちゃんも集め始めた」
つまり、北原さんは単にモノを集めているわけではなく、そこにまつわる幸せやときめきを集め始めたのです。