長寿人気番組『笑点』で座布団を運び続け、今年の10月で36年目に突入。そして、デビューのきっかけも同番組の「ちびっ子大喜利」だったという、山田たかおさん。しかし今や、不動産経営の達人としても講演にひっぱりだこという顔ももっています。いつもあたたかい笑顔が幸運を引き寄せるのでしょうか。山田さんにこれまでの人生を少し振り返っていただきました。
『笑点』の番組スタートは昭和41年5月。昭和45年にあった「ちびっこ大喜利」というレギュラーコーナーに登場した山田たかお(当時は隆夫)さんは、そのとき14歳。
「座布団を10枚ためたらレコードを出してやると言われて賞品として出したのがずうとるびのデビューにつながりました。あの頃はクレイジーキャッツや、ドリフターズに憧れていて、その後、あのねのねが出てきて。ユーモアのある曲ばかりやっていましたね。僕としては日本のモンキーズのようなバンドを作りたかったというのが本音です」
デビュー以来、ずうとるびは一斉を風靡するほどの人気グループになり、NHKの紅白歌合戦にも出場しました。
「日本テレビの『笑点』から出た僕たちが紅白に出るというのは、すごいことだったのですよ。先日亡くなったジャニー喜多川さんにも『youは面白いよ』と言ってもらいました」
ひょっとしたらジャニーズに関ジャニのように笑いをとれるグループができたのは、そんなずうとるびの残影があったのかも。
アルバムの曲は、ロンドン・レコーディングし、岩谷時子さん作詞、山田さん作曲の『明日の花嫁に』という名曲があります。
「エルトン・ジョンの曲を編曲していた人が編曲してくれたのですよ」
大ヒットソング『みかん色の恋』は、今も歌うと、お客さんが踊ってくれます。
「地方へ行くと、おばあちゃんが『私、ずうとるびの追っかけやってました』って来るんですよ。まだ1万人ぐらい隠れファンがいるかもしれませんね」
ずうとるび復活はないのですかと尋ねると、満面の笑みで一言。
「おじいちゃんになってるから、踊るのかわいそうだよ!」。
山田さんが不動産に興味をもつようになったのは、細木数子さんが芸能人を占うテレビ番組『ズバリ言うわよ!』に出演したのがきっかけでした。
「細木さんは僕に対して一言も悪いことを言わなかったの。それで、彼女の本を買って読んだら僕は水星人+で、不動産に向いていると書いてあったのです。そこからですよ。10坪くらいの小さな家を買って、それをまた売って、今度は少し大きい家を買ってというふうに。それがやがて、角地で70 坪になって。今、都内でマンションを2棟もっています」
そんな不動産経営の達人に、講演は超満員。
「『大家タレント』なんていう肩書きをつくってもらって、宅建協会に呼んでもらったり。この間はビッグサイトでやりましたよ」
話上手な山田さんの講演は大人気。
その他方で、テレビのバラエティーに出ると、子どものファンからファンレターがたくさん来ます。
「山田隆夫から山田たかおに改名したのも、子どもたちにわかりやすいように、という意味です。『アンパンマン』の作者のやなせたかしさんも、ひらがなでしょう。『笑点』で円楽さんが僕の悪口を言うと子どもたちから『山田くんの悪口言うな』と手紙が来ますから」
『笑点』の座布団運びも今年10月で36年目突入。すっかりなくてはならない存在になりました。
「先代の松崎真さんが体調不良で辞められるというときに、プロデューサーが『今まで大きい人だったから、小さい人でいってみようか』と僕に声をかけてくれたのです。大変かって? 全然。座布団運んでるだけですから」
でも山田さんのちょっとした仕草や、パントマイムのように感情を表す動き、そしてその笑顔はとても場を和ませています。