関西では最長老のラジオ・パーソナリティーとして、そして全国で映画評論家としても知られる浜村淳さん。一度聴いたら忘れない唯一無二の名調子は今も健在です。大阪・毎日放送ラジオ『ありがとう浜村淳です』収録後に、まだまだしゃべり足りない(!?)浜村淳さんを訪ねました。
ミルクティー色の洒落たボルサリーノをかぶったお洒落な浜村淳さん。毎朝『ありがとう浜村淳です』を生放送し始めて45年になります。
「始めた頃は手探りでしたね。ちょっとでも趣向の変わったことをしたいと始めたコーナーが、故郷の歌にお便りを添えて送ってもらうご当地ソングのリクエストです。『小島通いの郵便船』、『りんご追分』、『港町十三番地』、『アンコ椿は恋の花』。誰にでも故郷の思い出というのはありますからね。田端義夫さんの『故郷の灯台』という曲に『本当に故郷にあった灯台を思い出します』とひと言添えられていたり。東京より北の人は東京にいきますが、九州、四国、沖縄の人は大阪に働きに出て来る人が多いのです」
浜村さん自身は京都出身。大阪弁とはニュアンスもイントネーションも実は違います。しかし「走る走る走る」など、繰り返してインパクトを与える名調子は、浜村さん独自のもののような気がします。
「神戸出身の映画評論家、淀川長治さんも『よかった、よかった、よかったですね』と三度おっしゃいましたね。関西一円にそういう言い方があるのではないでしょうか。いや、私がしつこいのかな(笑)」
浜村さんが番組で紹介した映画は、必ず当たると言われたほど、臨場感ある解説が有名です。
「監督さんからよく紹介してくれと言われます。昔の名作、1〜2年経った作品などは皆さん知っていますから、結末まで話してしまいます」
不思議なことに結末まで話しても、もう一度観たいと思えてくる。それが浜村さんの語りのマジックです。
その話術が培われた原点は、戦後、キャバレーでのライブの司会からでした。
まず人気を博した店が、京都のベラミでした。
「京都のベラミ。大阪のナンバ一番、神戸の月光。この3箇所を回っていましたね。バンドのジャズの解説が特にウケました。東京には大橋巨泉さんがいましたが、そういうことをやる人が関西には私しかいなかった。テナーサックスのソロが有名な『ハーレムノクターン』なんて、客ウケしましたね。ただ、ジャズ、演歌、民謡、全部やらないといけないのですよ」。
浜村さんのトークが人心をつかむ要因のひとつに「エピソードの面白さ」があります。
「たとえば、ルイ・マル監督が25歳のときに撮った『死刑台のエレベーター』。
この映画にはマイルス・デイビスが音楽をつけていますが、監督は今日撮り終えたところしか彼に見せないのですね。それを見て、マイルスはトランペットをアドリブで吹いていく。まさにモダンジャズが映画にぴったりと寄り添ったわけです」
そういうエピソードを、浜村さんは外国雑誌を読んで集めたのだそうです。
実際に、たくさんの俳優、映画監督ともお会いされました。
「先日亡くなられた八千草薫さんとは30分の対談の予定が2時間になりましてね。主催者は嫌がっていましたが、お客さんは大喜びでした」
海外の名優たちにも何度もインタビューされています。たとえば、世界を虜にしたあのアラン・ドロンにも。
「アラン・ドロンには度々会いました。会うたびに僕のメガネを見て『君の顔にそのフレームは似合っていない。私はフレームを作る会社をやっているから、今度ぴったりなのを送るよ』と言うのです。しかし一向に送ってこない。それで、パトリス・ルコント監督がいらしたときにその話をしたのです。そうすると、監督はにやりと笑ってこうおっしゃいました。『彼は口先だけの男だよ』(笑)」。
ソフィア・ローレンとはこんなエピソードも。
「彼女はバストが96センチあるのです。しかもものすごく胸元の開いた服を着ておられた。それで、横に並んだとき、思わずのぞきこんだのです。すると『立ちなさい!』と、怖い顔をされた。ああ、叱られる、と立ち上がったら平然とひと言おっしゃいました。『立ったら、もっとよく見えるでしょう』(笑)」。