日本語、トルコ語、英語、スペイン語、中国語。5つの言葉をしゃべることができる堀口ミイナさんは、陽気でチャレンジ精神旺盛な人。現在はNHK第一放送『ちきゅうラジオ』、J-WAVE『CHINTAI COLORS OF WONDER』のナビゲーターなど、ラジオパーソナリティーとして活躍中ですが、社会人としてのスタートは商社での会社員から。なぜ5つもの国の言葉でコミュ二ケーションできるようになったのか、その魅力の本質に迫ります。
彫りの深い顔立ち、スレンダーなスタイル。堀口ミイナさんは一見、近づきがたそうな美人ですが、その明るく優しい人柄から、あたたかみが伝わってくる人。 生まれたのは地中海に面したトルコの海沿いの街、イズミルです。
「父は日本人、母がトルコ人です。私が生まれた頃、父は商社に勤めていましたが、トルコの専門家のような人で。トルコ語がうますぎて、今の上皇様とトルコ大統領の通訳をしたほどでした。その後、外務省に入り、トルコと日本を行き来する暮らしをしていたのです。私は今までの人生の半分をトルコで過ごしました。パキスタンにも4年間いたことがあります。大学は日本の早稲田大学に通いました」
就職は日本でしたい。そう思った彼女が、選んだのは、お父様と同じ、海外で活躍できる商社でした。
「商社の人は明るくて情報通でかっこいい。そんなイメージがありました。頑張って就活して、三菱商事に就職しました。4年間、総合職として、コンビニやスーパーマーケットの食品流通、事業経営支援の仕事をしていた事もあり、貸借対照表、損益計算書などをよく作成していました。多分私、芸能界で一番Excelができる人かもしれません!(笑)」
やりがいのある仕事でしたが、会社の外からも脚光を浴び始めると、いろいろ大変なこともあったようです。
「まだ副業がNGな時代だったのですね。だから、在職中に多言語の自著を出したのですが、当初はインタビューも受けてはいけないということで。ちょっとずつ認めてもらえていましたが、やはりもっと自分で発信できる仕事に移ろうと思い始めました」
いよいよ、上司に辞表を出したミイナさん。しかし翌日、とんでもないニュースが。
「辞めます、と言った翌日に安倍首相が『副業を認める』声明を発表したのです。あのときのことを私は『ミイナ・ショック』と呼んでいるのですが(笑)。
1日ずれていたら、あのまま会社にいたかもしれません。でもあれ以上書類を作り続けることもできなかったかな…。今は、まだまだではありますが、経験の広がる今の仕事を楽しんでいます!」
ユーモアをまじえながら、前職のこともありがたいキャリアと考えている様子が伝わってきます。