もともとは獅子舞を舞うような神前の祭礼で、その起源は能と同じくらい古いとされる太神楽(だいかぐら)。次第にそこに曲芸の要素も加わり、今日までおめでたい芸として寄席で楽しまれています。
そんなゆかしい芸の世界に、30歳目前で飛び込んだ鏡味味千代さん。バリバリとPRの仕事で活躍していた彼女が、どうしてその芸の道を選んだのか。太神楽の魅力は、彼女のその道の選び方に表れているようです。
子どもの頃から横文字の文章にひかれ、高校時代にはフランスに1年留学したこともある鏡味味千代さん。国際基督教大学に進学し、外交官を目指したこともあったという彼女が、正反対の和の世界にひかれたのには、こんなきっかけがありました。
「PRの仕事をしていた26〜27歳の頃のことでした。うちの父は寄席が好きで『たまには一緒に行こうよ』と誘ってくれたのです。それまではまったく興味をもてなかったのですが、仕事が忙しくてちょっとほっとしたいし、たまには親孝行しようかなという気持ちも手伝って、一緒に新宿末廣亭へでかけました」
そのときはもちろん、いつかその寄席に自分が出演するとも思ってもみなかった味千代さん。ただ興味は、寄席そのものに注がれることになりました。
「寄席には様々な芸がありました。まず落語はいいなと思いましたね。人を傷つけない笑いがある。それに忙しい心がいやされ、寄席そのもののファンになったのです」
太神楽の芸も、そのとき初めて生で見たそうです。
「最初に見たときには、太神楽は和もののジャグリングのようだなと思いました。傘を使ったり、毬や撥を放りなげたり」
それを機に自ら寄席へ通うようになった味千代さん。「初席」と呼ばれるお正月興行を見にいったとき、ちょっと衝撃的なものを感じたそうです。
「舞台に獅子舞が出たのです。見事な舞でした。そしてその獅子の面を最後にふわっととったとき、現れた顔は、太神楽の師匠方だったのです」
太神楽の歴史の大元にあった獅子舞。その昔、太神楽師たちは獅子舞をしながら家々をまわり、神社のお札を配っていたそうです。
初席の日の芸には、どこかその歴史と伝統を感じさせる由緒正しさと華やかさがあったのでしょう。それは味千代さんの心に響くものがあったのです。
「その帰りに『太神楽後継者募集』というチラシをもらったのです。私は太神楽の芸を家ごとで伝わっているものだと思い込んでいたので、驚きました。23歳以下という年齢制限を見つつも、29歳の私はそこに飛び込んでみたいと思ったのです」。