男性ファッション誌の老舗『メンズクラブ』の名物編集長として名を馳せ10年。独立してからも、自ら「エロジュアリー」という言葉をテーマに書き続けるブログ『トガブロ。』が1日5万以上のアクセスという、人気ファッション・ディレクターの戸賀敬城さん。でも実は人前に出るのはあまり得意でないと苦笑いします。雑誌とともに磨いてきた明るい感性は、男女問わずおしゃれを愛するオトナを刺激し続けています。
編集長時代は「とがっち」の愛称でトークショーに多数出演、自ら誌面でもモデルとなっていた戸賀敬城さん。それには雑誌の運営を支える大人の事情があったようです。それはさておき、編集者という仕事に興味をもったのは10代の頃でした。
「14歳のとき、父が亡くなり、編集者だった叔父が何かと目をかけてくれたのです。叔父は大手出版社で芸能雑誌や男性週刊誌の編集をしていました。ちょうどバブルと言われる時代に差し掛かっていくので、美味しい店を行き着けにしていたり、新しいファッションを知っていたり、かっこいい車に乗っていて、芸能人に普通に会っていたり、いいところばかりが目に入って(笑)」
そんなおじさまの紹介で、大学時代は男性週刊誌でアルバイトをしていた戸賀さん。
「Hなビデオの担当の人が、見終わった箱から『好きなのもっていっていいよ』と言ってくれるし(笑)。ゆるい格好で、朝も満員電車に乗らなくてすむ。ああ、編集者っていいな!と思いました。それで、卒業後は世界文化社に入社しました」
世界文化社で配属されたのは『Begin』というモノにこだわる男性ファッション誌。当時は、後にちょいワルおやじという流行語を生む『LEON』を立ち上げる岸田一郎さんが編集長でした。
「そこで32歳のときに副編集長になったのかな。僕を可愛がってくれた叔父もその前年に他界していて。そして、その後、僕は縁あって、叔父がいた集英社の『UOMO』という雑誌のデイレクターも1年半経験しました」
いくつかの雑誌を経て気がつけば男性ファッション誌一筋。その後、アシェット婦人画報社(現ハースト婦人画報社)の『メンズクラブ』へ。
「メンズクラブの編集長は10年やらせてもらいましたが、当時はもう外資の会社だったので、部署の利益になるなら何をやってもいいと言われました。しかし、サラリーマンなので、トークショーなどに出ても自分はギャラはもらえません。そこで『雑誌に広告を入れてくれること』を条件に出ていました」
明るいキャラとサービス精神旺盛なトークで「メンクラのとがっち」はあっという間に人気者に。退任時の広告収益は就任時の3倍になっていたそうです。