子どもの頃から、感性の赴くままに様々な楽器の習得を重ね、二十五絃箏にたどり着いた中井智弥さん。端正で爽やかなルックスで奏でるその音色で、最新アルバムはジャズへの挑戦です。ご自宅におじゃまし、御自身の分身のような立派な箏とともに、新しい挑戦についてお話を伺いました。
三重県津市に生まれた中井智弥さんは、まず幼少期からピアノやエレクトーンを習ったそう。彼のお母様も「三味線を習いたい」という洒脱な方のよう。
「それで、僕も母の三味線の稽古場についていっていたのですが、どうやら母は端唄や小唄を習いたかったようなのです。ところが、三味線音楽にもいろいろあり、その先生は地唄の先生だったのですよ(笑)」
端唄とは、長唄の対語として生まれた言葉で、江戸時代から始まった三味線音楽のようです。三味線と唄で聴かせるもの。小唄もそこから派生した音楽。芸妓さんがちょっと艶っぽく唄ったりするのは小唄が多いようです。
ところが地唄というのは三味線音楽のなかでも、もっと古典。箏を合わせて奏でます。
「習っても習っても、母が歌いたい唄は出てこない。つまり、僕は母が間違って通ってくれたおかげで、そこで箏という楽器に出逢えたのです。ついていって半年ぐらい経った頃、先生が『智弥くん、退屈そうだし、爪をはめて箏を弾いてみたら』と言ってくださいました」
中井少年は、どうやら最初から、とても良い音色を出したようです。
「絃をなぞったら、いい音がして、いっぺんに箏という楽器が好きになりました。
一気にかき鳴らして、ああ、こんなにいい音がするんだ、と。先生は『智弥くんは、初めてなのにちゃんと箏を弾く手になっていますね』とほめてくださいました。僕はどちらかというと、ほめられて育つタイプなのです(笑)」
しかし先生は指導には厳しいところもある方でした。間違えたところに赤で印をつけられるのだそうですが、気づくと真っ赤に。
「中級になると、その頃の僕には素直に楽しめない曲も多くて。でも弾けるまで帰してもらえませんでした。ところが今は、僕、その先生を教えているんですよ」
そう、中井さんはその後、珍しい二十五絃箏の世界へと踏み入ってゆき、そこでプロの奏者となっていったのです。