2020年、秋の新番組として毎週金曜朝8時TBSラジオ『金曜ボイスログ』で4時間半の生放送を任せられた臼井ミトンさん。初めて彼の声を聞いた人も多く、その経歴を知らない方もまだたくさんいらっしゃるかも。しかし臼井さんは、異色の経歴をもつシンガーソングライターが本業なのです。写真やデザインもプロである多才な彼に、これまでと今を語ってもらいました。
7歳のときからチェロを学び、音楽には早くから親しんでいた臼井ミトンさん。
やがてギターにも勤しみ、高校を卒業してアメリカの名門、バークリー音楽院に合格しました。
「ギター専攻でしたが、あっという間に挫折しました。理論がまるでわからなかったし、僕はずっとチェロをメインにやってきていたので、ヘ音記号でしか楽譜が読めなくて。まわりは超絶技巧自慢のギタリストばかりだし、授業を受けるうちに、そもそもギターでジャズを演奏することが自分にとっての最終目標ではないような気がして来てしまって。ギターで何かを表現したいわけではなかったのかも、と。高校時代から曲は作っていたのですが、歌がすごく下手で思うようにならなかったこともあり、とりあえずギター科を選んだのですが・・・」
しかしプロのギタリストとしてもセッションはしつつあった臼井さんは、ロサンゼルスへと移住します。
「ロスには2年弱住みました。音楽仲間と色々なライヴを観に行きましたが、あるとき、ジェームス・テイラーのライブを見に行くことになったのです。場所はグリフィス天文台にある、ハリウッドボウルの3分の1くらいの規模の野外音楽スペースでした。お客さんはみな飲んだり食べたり、ピクニックのような感じで観に来ていました。けっこう年齢層が高くて、勝手に口ずさんでいる人がいたりして」
グリフィス天文台は、様々なハリウッド映画のロケ地になっていて、最近では『ララランド』にも登場しています。
「バックのミュージシャンたちはみな超技巧派。だけどそこでジェームス・テイラー(以後、JTと表記)とは、すごくシンプルでフォーキーな音楽をやっているんです。人々に愛されるシンプルな歌を、音楽的に高度な技術で支える、その感覚に心底憧れました。初めて僕もちゃんと歌いたい、曲を作りたいと思いました」
そこから臼井さんの「本物」と出会う旅が始まりました。
いったん日本に戻って曲作りに励み、今度は宅録機材を背負って渡米したのです。ニューヨーク、ナッシュビル、そしてマッスル・ショールズへ。
「マッスル・ショールズという、アレサ・フランクリンなどソウルミュージックの名盤の数々を生んだ音楽の町へも行きました。1960~70年代の聖地ですね。その後、ローリング・ストーンズやポール・サイモンもわざわざその街を訪れてレコーディングしています。実はそのマッスル・ショールズのミュージシャンたちが来日公演を行った際に、終演後のサイン会で話しかけ、彼らに演奏を頼んだのです。『最近マッスル・ショールズどうですか』『仕事ないよー』『弾いてくれますか』『ぜひー』みたいなノリだったのですが。空港まで迎えに来てくれたとき『本当に来るとは思わなかったよ』と言われました(笑)。レコーディングして、地元の寂れたライブハウスでセッションしたのもいい思い出です」
海外の一流ミュージシャンのホームページに自分の音源のURLリンクを送って交渉したことも。
「記念写真を撮ってもらうようなミーハーな感覚です。上原ひろみさんみたいに世界的なレベルの技術を身に付けて、世界的に評価された上で頼むほうがかっこいいのはわかっています。でも、その僕がそのレベルになるまで待っいてたら、誰もいなくなっちゃう」
しかしミュージシャンたちも、何か臼井さんの音楽に秀でたものを感じて共演を受け止めたに違いありません。
こうして臼井さんはファーストアルバムを一流の海外アーティストたちとの録音で完成させたのです。