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第3話 『ふきのとうの雪解けスパゲッティ』
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  • 第3話 本日のお客様への料理『ふきのとうの雪解けスパゲッティ』

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 最低気温がマイナス1度というような日が過ぎると、ふと冷たい風のなかに温もりを感じるようになる。
 それは耳を澄ます、という動作を、肌を澄ます、に置き換えて、感じるくらいの。
 盛田幸はふと木々を見上げる。
 小さな小さな、それと気付かぬほどの蕾を見つけ、それから「これはなんの木だったかしら」と、しばし思い巡らす。木々と、春に。
 春はいつもまず別れを連れてきて、その後、ゆっくりと出会いを連れてくる。
 最初に駆け落ちして上京してきたのは3月の終わりだった。築地に住んで、それからそれから。
3年目の春に男が出て行ったのも春。勤めていた店のママが亡くなり、それからまた大阪へ戻って、また今度はあの人と出会って。…
 何度も冬が来て、また春が来た。それでも春を待つのは何故だろう。
 だけど、手放しで喜んで春を待つというわけではない。そんな人が、自分以外にもいるような気がした。春がそんなに嬉しいはずじゃない人も。
 それでも春を待つ。なんでだろう。

 とりあえず、幸はスーパーマーケットへも春を見つけに行く事にした。
 関東では、新潟や山形、群馬といった場所の春に芽吹く山菜が届く。
 大阪に生まれ育った幸にとっては、どこも行ったことのない県だった。ふきのとう、こごみ、たらの芽、といった山菜をカゴに入れた。
 年末あたりから、菜の花が並んでいるのには気づいていた。まだ寒いが「新春」という言葉に誘われて、皆、春を手に取りたくなるのだろうか。
 ひりひりするような思い出を残す、春だからこそ、それを紛らすように、霞がかかったりするのだろうか。

🥂Glass 1

 ボロボロの黒いリュックを背負った男がやって来たのは、21時半ごろだった。
 地元の客が数人、バーカウンターにいたが、割と早く来て早く帰る人たちだった。

「もりママ、ラディシオーン、シルブプレ!」

 フランス語らしく「シオーン」の発音を鼻にかけて、財布を取り出したベレー帽の紳士は、もと編集者だったらしい。

「メルシーボク。お釣りは2500万円」

 幸はフランス語と大阪弁をふざけて掛け合わせる。紳士たちはははは、と席を立ち、右手を挙げて出て行った。
 誰か残ってくれたら良かったのにな、と幸はふと思った。ボロいリュックの客は初めての顔だ。ダウンを脱ぐとまたひどくくたびれた緑系のネルシャツに薄汚れたライトダウンのベストで、なんだか山登りの帰りのようでもあった。足元も登山靴だ。
 ふと、幸は最近はこういう服装のホームレスもいることを思い出した。
 銀座にいた頃、そういう格好のホームレスが店に銀杏を売りに来たことがある。なんでも、日比谷公園で拾ったとか言っていた。思い出しながら、なんとなく不気味に思えてきた。
 それに、伸びすぎた無精髭も、濃い眉の下の三白眼も、ちょっと怖い。

「何になさいますか」

 幸が訊ねると、客はメニューを開いて、無精髭あたりをさすりながら答えた。

「クラフトビール、あるのか」

 ぶっきらぼうな喋り方だった。
 幸はゆっくり、答えた。

「はい、横浜で作ってるんですよ」

「じゃ、それで」

「承知しました」

 レボブルーイング・ワン、という、缶ビールだ。
 黄色い手が人差し指を立てている。

 グラスを斜めにし、ブルーの缶から1杯目を綺麗に注ぐ。

「ありがと」

 客は静かに言い、ごくごくとグラスの半分あたりまで飲んだ。

「ああ、これ、旨いな。なんていうか、変なクセがない。あ、ママも何か飲む?」

「いいんですか」

「1杯ごちそうするよ」

「じゃ、1杯だけ、いただきます」

 幸は自分には安い白ワインを注いだ。ごちそうしてくれるというのだから、ホームレスではなさそうだ。ただ服装がひどくくたびれているだけで、実はお金持ちなのかもしれない。そういうことも、世の中には多々ある。

「乾杯」

「カンパイ」

 客は店を見渡しながら、美味しそうにビールをまた飲んで言った。

「僕、毎週土曜日に、初めての店に行く事にしてるんだ。もうすぐ3年になるか」

「どうしてですか。居心地のいい店に通う方がいいじゃないですか」

 幸の問いかけに、客は俯いて、かぶりをふった。

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