幸はいろいろ試行錯誤して自分で見つけたレシピを伝えようとしていた。
「さあ、じゃあ、卵を全卵1個と、卵黄1個混ぜて、そこに生クリームを100cc。塩をふたつまみ。基本はその割合で生地をつくります。これが1台分だから、3台焼く時は、その3倍ね。凛花ちゃん、卵を白身と卵黄に分けてください」
「はい」
凛花はいきなりボールに卵を割って入れ、スプーンで卵黄をすくおうとした。が、うまくいかない。
「ダメだ」
「ああ、こうするのよ」
幸は卵を横にしてこんこんと水平にまな板にぶつけると、その割れ目を丁寧に開き、片方に黄身が載るようにして白身だけをボールに落とした。そしてもう一方の殻にそうっと黄身を運び、残りの白身も落とした。
片方の殻に、黄身が残った。
「わー。それ、かっこいい。やってみたいです」
凛花は恐る恐る卵を一つとり、割って、片方の殻に黄身を残すまではできた。喜んだのも束の間、もう片方に移すときに黄身は割れてしまった。
「ああ… すみません」
「宿題ね。できたら、気持ちいいでしょ」
そんなことを言っていたとき、山手のマダムらしい女性が店の扉を開けた。
「すみません、今日は定休日で」
幸が言いかけると、凛花がつぶやいた。
「あ、ママ」
ママと呼ばれた女性はツカツカと二人の前にやって来て、凛花の腕を掴んだ。
「さ、帰りましょ。何してんの。こんなところでバイトするなんて、私は許しませんよ」
「やだ。帰らないよ」
凛花は腕にかかったその手を振り払った。
ママと呼ばれた女性は、気の強そうな目元が、凛花にそっくりだった。顎線できっちりと切り揃えられたボブが、また強さを倍増していた。黒い麻のトップスに生成りのタイトスカート。おそらく幸とは年が変わらないはずだ。
母親は、その強い目力でビームを出すように店中を見渡しながら、凛花に言った。
「あのね、料理を習うなら、もっとちゃんとしたところへ行きなさい。おまけにこんなバーみたいなところでバイトするなんて。… 許しませんよ」
「もうママ、そんな言い方失礼だよ。お父さんだって来てるんだよ」
「親子してバカじゃないの!」
幸は咄嗟に、ああ、そうして夫と娘がこの店を気に入っていることが、余計彼女を怒らせているのだ、と悟った。ある種の嫉妬なのだ。
店を卑下する必要もないことは、幸は百もわかっていた。が、ここで喧嘩してしまっては元も子もない。
「あの、凛花ちゃんも大人ですから、ご本人に決めていただければ。それに、うちは客層は悪くないですよ」
「…… ふんっ。凛花、ママ、許しませんからね」
そう言い捨てて、凛花の母親は二人を交互に睨みつけて帰っていった。