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第13話 『ひと皿ずつの参鶏湯』
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  • 第13話 本日のお客様への料理『ひと皿ずつの参鶏湯』

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 港町には恋が似合う。
 しかもずっとある山下公園から大黒埠頭一帯だけではなく、みなとみらいという近未来的な都市も煌めく。横浜には、恋人たちがたくさんやってくる。
 それにここ1年ほど、横浜はめっきりドラマの撮影が増えた。どうも横浜市がロケ地として使ってもらうよう協力しているらしい。
 近所の花屋さんは、半月ほど撮影で店を貸していた。その店の主人が言った。

「営業補償してくれますからね」

「そうなんですか!」

 盛田幸は思わず大きな声を出してしまった。いいなあ、と言いかけたが、それははしたないと思い直した。

「夕方はショッピングストリートの方で撮ってるみたいですよ」

 元町は若いカップルでいっぱいで、どこまでがエキストラなのかわからないほどだ。
 そういえば、婚約指輪や結婚指輪のためなのか、ジュエリーショップもたくさんある。
 最近は、カップルが自分たちで彫金して指輪を作ったりもするらしい。その店の前で、芸能人の記者会見のように左手を掲げた2人を立たせ、店員が写真を撮っているのを見かけた。

 幸は婚約指輪も結婚指輪ももらったことがない。一緒に住んだ人は2人いたが、どちらも結局、そういう約束はせずじまいだった。
 ショーウィンドウに並ぶ細い指輪を見ながら、ふと、自分の少し皺の出てきた手を冬の日にかざした。若い頃の手はどんなだったのかも忘れた。
 そういえば、もはや自分で買った指輪すらしなくなった。
 店のグラスを洗うのに、邪魔になるからである。

🥂Glass 1

 正月明けに、お客さんに紹介された鎌倉の料理教室へ行って習ってきた、参鶏湯を煮ることにした。
 これならある程度炊いておけば、10人分も20人分も対応できる。
 丸鶏のだしは濃く深く、少しぐらい薄めても十分に美味しいのだ。
 生姜と棗の詰めた丸鶏をくつくつと3時間ばかり煮る。そういうことができるのも、寒い季節ならではである。
 暖冬とはいえ、朝晩はぐんと冷える。このあったかいスープを飲めば、風邪予防にも、引いた後の滋養にもなるだろう。

 その夜、スープの少し薬っぽい、あたたかな香りに誘われるように、3人連れが現れた。
 幸と同じくらいの年齢だろうか、女性1人と、男性が2人。

「いらっしゃいませ。入口は寒いので、よかったら奥へどうぞ」

 奥のカウンターに招かれ、壁にコートをかけて、3人は女性を真ん中にして素直に奥のカウンターに並んで座った。ほろ酔いの女性は少し上気した頬を両手で包んで微笑んだ。潔いショートカットで、ほっぺたにくぼみが出るようなえくぼがあった。化粧っ気の少ない美人だった。

「ああ。ちょっと酔っ払っちゃった。なんか3人でいると、タイムスリップしたみたいで」

「はしゃぎすぎだよ」

 たしなめたのは、彼女の右に座った男性だった。短髪にメタルフレームのメガネ、草色のセーターの肩が撫で肩に沿って落ちている。いかにも普段はスーツを着て会社に行っている人の休日カジュアルだった。
 ところが、彼女の左に座った男性を見て、幸の心拍数はちょっと上がった。
 中肉中背だが、肩の線が綺麗。白髪の髪を顎線まで伸ばしていて、それが不思議と不潔ではないのだ。鼻筋の通った左右に少し窪んで、穏やかな眼光があった。カシミアの黒いタートルネックがこなれて見えた。
 幸の彼への目線にメガネの男が気づいて、言った。

「あ、こいつ、いい男でしょう。有名なチェリストなんですよ。知らないかな」

「知らないよ」

 黒の男が低い声で言った。

「だいたい、チェロなんて、マイナーな楽器だからね」

 真ん中の女性が言った。

「そんなこと言わないでぇ。私、あの時、チェロを弾いてる2人を見て、立ち止まったんだから」

「いつの話だよ」

「学生時代よぅ。ほら、キャンパスの芝生で、練習してたじゃない。音楽部なんてない大学なのに、一生懸命弾いててさ。なんか、キラキラしてたんだよね」

 女性はうっとりと、左右の2人ではない場所を見つめて言った。

「お飲み物はどうなさいますか」

 幸が聞くと、3人はほぼ同時に答えた。

「白ワイン!」

 そして、お互いの顔を見合って、笑った。

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