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第16話 『会えない夜のシュクメルリ』
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  • 第16話 本日のお客様への料理『会えない夜のシュクメルリ』

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 佐伯洸が弾くチェロを聴いてから、矢作夫人はたびたびヒトサラカオル食堂を訪れるようになった。あんなに毛嫌いしていたのに。
 いい男といい音楽の効果は、あっという間に頑なな人の心を溶かしてしまったのだった。

 その日は17時の開店そうそうやってきた。

「幸さんのお料理は本当に美味しいもん」

 そんなおべんちゃらまで言った。

「矢作も付き合いが多いし、凛花も結婚式の準備やら何やらで忙しいし、私、ひとりでしょう。お漬物でチャチャっととか。いい加減なものしか食べてなくて」

「それはカラダに良くないですねえ」

 幸はいきなりには彼女のことが理解できず、お客さんとして丁寧に接するほかなかった。どこかどぎまぎしていたとき、見慣れないひとりの女性がドアを開けた。

「あの、ひとりなんですが、いいでしょうか」

「いらっしゃいませ。どうぞ好きなところへおかけください」

 幸は小さく会釈しながら言った。
 風貌を見るに、40代後半だろうか。地味ないでたちだが、スッと首筋が伸びて姿勢が良かった。

 女性はその首をスッと伸ばし、天井から床から、取り調べするように見渡した。そして、矢作夫人と離れたバーカウンター側の場所に座り、隣の席に角の丸くなった黒い表革のバッグを置いた。

🥂Glass 1

 幸はその女性客をファッションチェックした。服好きのせいでついつい、そんなことをしてしまう。テーラーカラーのグレーのスーツ。黒髪は後ろでまとめてシニョンにしている。茶色い細いフレームの眼鏡。首元の細い金のネックレスのチャームは、小さな音符だった。少し前に出た四角い額が、隠しきれない美人の骨格を現していた。
 ハンドバッグからスマホを出すと、大袈裟に人差し指を下から上へスライドして中身をチェックし、テーブルにかたり、と置いた。

 誰だろう、この人は。探偵なんだろうか。それにしてはいやに堂々としている。もし探偵だとしたら、いったい誰について調べてるんだろう。あ、待てよ、国税庁の人とか? いやいや、ちゃんと税金払ってるし。そんな儲かってないし。…幸はあれこれ考えながら、注文を取ることにした。

「こんにちは。何になさいますか」

「飲めないので…何か、ノンアルコールのものはありますか」

 幸は手書きのノンアルコールのメニューを見せた。

 コーヒー
 紅茶
 ジンジャエール
 バタフライピーソーダ

「あの、このバタフライピーソーダ、ってなんですか」

 女は眼鏡をちょっと上げて聞いた。幸は気づいてくれたことが嬉しくて笑顔になった。

「あ、これね。バタフライピーっていう青い色素のハーブがあって、そのシロップを使ったものなんです。天然のブルーですよ」

「へえ。じゃあ、それをお願いします」

 幸はシロップをソーダ水で薄め、昔懐かしい缶詰の赤いチェリーをのせた。
 しゅわしゅわと波立つブルーの海の上に、赤いブイがのっているような、可愛い飲み物だった。それはグレーのストイックなムードの女性とは、不思議なギャップがあった。

「どうぞ」

 女はストローでひと口のみ、なんの感動もなく、またスマホを見始めた。

 矢作夫人は、チラチラと彼女を見ながら、幸の耳元に顔を近づけ、ひそひそ話にならないハリのある声で言った。

「誰かしら」

 幸は人差し指を口に当てて、しーっという顔をして、彼女をおさめた。

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