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  • 第18話 本日のお客様への料理『学生時代に食べたミートソース』

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🥂Glass 2

 岡部はそんな二人のやりとりに、口元だけで笑っていた。目が笑っていなかった。
 小さな乾杯をしてひと口飲むと、こう切り出した。

「忙しいのに、ごめんな、呼び出して。実は俺、手術することになってさ。ちょっと厄介なんだ。頭だから、開けてみないといろいろわからないらしくて」

「そりゃ大変だな」

 佐伯は、淡々と相槌を打った。
 岡部は低く言った。

「入院する前に、会っときたかったんだ」

「うん」

「…」

 沈黙が流れた。
 どの空気に割り込むべきか、割り込まざるべきか。長年の経験値を幸は頭のなかでフル回転させた。この間、岡部の妻の恭仁子がここで「洸さんのことをいつまでも思うから、バチが当たった」と泣いていた顔を重ねながら。
 佐伯の胸にはどんな想いがあるのだろうと、海から星空を見るような気持ちでいた。

 岡部が言った。

「恭仁子が元気がなくて。今日も一緒に行こうと言ったんだけど」

「そりゃ、おまえが手術するなんて、ショックなんだろなあ」

 佐伯の言葉に、岡部はそれ以上のことを考えている様子もなく、頷いた。

「うちは娘も仕事が忙しくてほとんど帰って来ないし。俺が入院したら、ほんとにひとりなんだよな…」

 岡部は恭仁子のことばかり考えているようだった。ごくり、とワインを飲むと、グラスを持ったまま言った。

「あのさ、だから、もしも俺になんかあったら、あいつのこと、頼むよ」

「よせよ。なんかあったらとか、いうな。絶対言うな」

 佐伯は強く言った。学生の男の子と男の子の会話のようだった。

「うん」

 岡部はうなだれた。
 佐伯はたたみかけた。

「恭仁子さんにとって、おまえは今なんだ。俺はもう昔だ。大事なのは、今なんだ」。

🥂Glass 3

 佐伯はそうだ、とばかりに幸を見た。

「幸さん、なんか、美味しいもの。病院で絶対食べられないやつ」

 突然のフリに、幸は一瞬、鳩のように首を傾げたが、かしこまりました、とエプロンを整えた。

 こんなときのために、冷凍しておいたものがあった。
 ある東京のシェフに教えてもらった、ミートソースだ。
 合い挽き肉と玉ねぎとトマトケチャップ。この単純な3つをストウブ鍋で延々煮込むのである。
2時間を超えると、いわゆるメイラード反応というのが出てきて、焦げ目から甘い香りがしてくる。糖度の高い玉ねぎだとかなり甘くなるので、最後はバルサミコ酢で整える。
 スパゲッティは一人80グラム見当で茹でる。
 解凍したソースをかけ、一皿ずつパルミジャーノを削る。

「チーズを削りますから、ちょうどいいところで、OK、って言ってください」

「… OK!」

 湯気のたったミートソースに茹でたてのパスタとチーズが絡む濃厚な味わいは、どこか喫茶店の懐かしさがある。パスタとソースを絡めるとき、チーズが良いクッションになる。3つが相まった濃い味わいは、学生時代に喫茶店で食べたような気がする、と佐伯は思い出した。

「上手いな、これ。ほら、西門の近くにあった、何っ言ったかな、あの店のミートソースに似てるよ」

「ああ。あの店のパスタはもっと太くてべたっとしてたけどな」
 岡部は食べながら続けた。

「… 恭仁子と3人でも食べたな」

「今日、来ればよかったのにな、あいつ」

 二人は少年のようにあっという間にパスタを平げた。
 口元を紙ナフキンで拭きながら、岡部が言った。

「素晴らしくうまかった。また食べたいな」

 幸はすかさず言った。

「退院祝いはまたここで食べてください」

 岡部は目を閉じて頷いた。やっと本当に微笑んだ顔になった。

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