《2》
タクシーに乗り込むと、未知はスマホをいじり始めた。多美子は出会ったときから、未知に自分を寄せ付けないオーラを感じていた。だがそれは「多美子のことが嫌い」なのではなく、彼女が多美子のようなタイプの女性を苦手としているからだということも理解できた。
そこで、つとめて優しく声をかけた。
「大丈夫?世田谷線、ある?」
「全然大丈夫です」
やはり未知は取りつく島のないような物言いをする。しかし、未知はふと「タクシーに乗せてもらっている」ことに気づき、こう付け加えた。
「えっと、最終は0時52分上町止まりなんです。けっこうあるんですよ」
多美子はその解説に素直に驚いた。
「へえ。けっこう遅くまであるんだ。世田谷線って、便利なのね」
世田谷線を褒められると、未知はちょっと嬉しくなった。
「そうなんです。私、世田谷線が好きで、今のところに決めたんです。大学を卒業してすぐに住んでるから、もう8年になるのかな。路面電車が好きなので、世田谷線は、飽きないんですよ。大学は早稲田だったんで、都電荒川線の都電雑司が谷っていうところに住んでたんですけど。世田谷線はなんかもうちょっと優雅というか、駅のひとつずつに見所もあって、楽しいんですよね。ボロ市、いらっしゃったことあります? うちの界隈であるんですけど、すごく賑わうんですよ」
未知が嬉しそうに語り始めた勢いに、多美子は少し驚いて「ボロ市は…行ったことある」とだけ口をはさんだ。
「代官屋敷は見ましたか。なかなかいいですよ。彦根藩世田谷領の代官を世襲した大場家のものなんですけど。屋敷の一部重要文化財になっています。突然、そこだけ江戸時代が残っているんです」
そこまで説明して、未知は「あ」と小さく我に返ったという表情になり「すみません、私、ちょっと鉄子なんです」と言った。
多美子はあっけにとられた顔のまま聞いた。
「だから旅行代理店につとめたの」
「そうかもしれません。いや、あの、鉄道が好きになったのは、車が嫌いだからで…」
未知はタクシーのヘッドレストのあたりを見ながら言って、あ、しまった、という顔をした。「車に乗せてもらっている」のに。
多美子はまたそのことに一瞬不快を感じたが、言ってしまった自分に戸惑っている未知の表情にも気づいた。
「お客さん、駅ですけど、ここでいいですか」
運転手がぶっきらぼうに言い「すみません」と、未知は車を降りた。
多美子が窓の外を見ると、未知はタクシーを見送ろうとしてその場にいた。そして、車が動くと、申し訳なさそうに一礼して、走っていった。