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    第4話 『未知の事情』

《3》

 世田谷線の駅へと小走りになりながら、未知は泣きそうな顔をしていた。
「車が嫌い」と言ってしまったことに自分で驚いていた。いやどちらかというと、それを言わせた状況を恨んでいた。あのとき「車に乗せてもらっているのに車が嫌い」と言ってしまった自分を悪いと思う気持ちと同時に、触れられたくない部分に触れざるを得なくなってしまったことが、辛かったのだった。
そして小走りになりながら、未知はまたそのときのことをありありと思い出す。

 11年前のことだ。
高校3年生の夏だった。
未知には特別になりかけているボーイフレンドがいた。
田沼耕。札幌の公立高校の同級生で、学年で1番や2番を争うような相手だった。冬はスキー、夏はテニス、と運動もよくできる好青年だった。背こそそれほど高くはなかったが、性格は温厚で上にも下にも愛された。
「耕はさ、なんであんたなんかを大事にするんだろね」
口の悪い親友のユキナが未知に羨ましげに言った。
「子供んときから知ってるからさー」
それは事実だった。耕と未知は近所に育ち、未知の弟の祐と3人、きょうだいのように育った。
耕は東大を目指していた。夏休みは塾の後、夜中にファミレスでバイトもして、朝方、バイクで家に帰るという生活をしていた。
「耕ちゃん、頑張りすぎじゃね?」
未知が言うと、耕は言った。
「おまえと東京行くから。東京行ったら、金、いるっしょー」
「それはそんときのことじゃない」
「あって困るもんじゃないからー」
8月30日。
耕はバイクで車と衝突し、死んだ。
死因は、事故そのものではなかった。事故の衝撃で、頬張っていた眠気を覚ます強いミントのガムを気管に詰まらせたことだった。
夏休み最後の夜が通夜になった。
「みっちゃん、よく来てくれたねえ。顔見てやって」
耕の母親は、少し惚けてしまったような空しい目をしていた。
未知は怖くてしばらく棺の足元に固まっていたが、おもいきって耕の顔を見た。
青白くなった顔だったが、どこか微笑んでいるようでもあった。その微笑みは、いつも未知が子どもっぽいわがままを言ったときに、困りながらも最後は許してくれる、その微笑みだった。
「耕ちゃん、どうして… 」
触れることはためらわれた。数日前、ファミレスで勉強した帰り道に、ふざけたそぶりでキスをしようとした耕に未知は言ったのだった。
「耕ちゃん、いかん」
「どうして」
「まず勉強して、大学受かって、一緒に東京に行かんとぉ」
「そうだな」
耕は恥ずかしそうにそっぽを向いた。ファミレスの裏で、今で言う、壁ドンみたいなシチュエーションだった。顔のそばまで近づいた彼の口元から、ミントの匂いがした。彼は本気で未知のことが大好きだった。だから、ふざけなければそんなことができなかったのだ。
棺のなかの耕を見ていると、未知はだんだん、自分のせいで耕が死んだような気がしてくるのだった。
「耕ちゃん… 耕ちゃん… なんで」
未知は、彼の顔に顔を近づけた。口元から、ミントの香りがしないかと嗅いだ。でも、もうしなかった。そのとき、耕がいて当たり前に自分の世界が回っていたことに気づいた。ずっといつまでも、大事に思い合える相手。なんの疑いもなく、嫌いになんてなるはずもない相手。そういう相手を失ったのだった。

 それから、未知は車もバイクも嫌いになった。その代わりに、耕とよく乗った小さな電車の乗り心地ばかり、求めるようになった。

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