【ここまでのあらすじ】
暗闇のイベントで知り合った4人の女たちのなかで、一番年上の鍵崎多美子は女性誌の編集長だが、雑誌の部数低迷で、ウエブ化を推めることになった。馴染みの代理店の横井の紹介で知り合った制作会社社長の岸場鷲士に恋をし始めたが、彼は未成年との異性交遊で捕まったという。しかし、多美子はどこかで彼をあきらめきれず、その報道の真意を確かめたいと思っていた。
《1》
鍵崎多美子は、シャンパンベージュのシルクのガウンを着て、
自宅のベッドルームの鏡台の前にいた。
目の前に、チュベローズの真新しい香水がある。
高価だった。そして、久しぶりに好きな香りだ。
恋の相手が変わるたびに香水を買い換えてきた多美子にとって、これをいきなり捨ててしまうのはあまりに惜しいことだった。
事件を起こした岸田鷲士とは、もう会うことはないだろう。
なんだって、女子高生と。どこで知り合ったのだろう。あんなに忙しいはずだったのに。
いや、ちょっと待った、と、多美子は自問自答する。
「巻き込まれた、ってことはないかな」
思わず、鏡のなかの自分に話しかけた。
頭のなかの大画面で、岸田鷲士のちょっとはにかんだような笑顔と、きれいな横顔が蘇る。
低めのあたたかい声も。ほのかに香ったジンの匂いも。
「そうだ、会って確かめよう」
重ためなガラスの香水瓶を天井に向けて2プッシュする。チュベローズの香りは甘い霧雨のように、上を向いた多美子の顔に降ってきた。
香水がもったいないのか、この気持ちを終わらせることがもったいないのか、すべてを甘く包み込んでしまうような香りだった。