《2》
冬の朝はゆっくりやってくる。洋三は手早く莉奈の弁当を作り、仕入れに出かけていった。
しばらくすると、今度は莉奈を起こさねばならない。相変わらず口数が少ない莉奈は、朝起きるのにも時間がかかる子だった。
「もう起きないと間に合わないよ。ほら、今日はお弁当の日だから、お父さんがお弁当作ってくれたよ」
有紗そう言うと、莉奈はぱちりと目を開ける。父親の作るものが、彼女にとっては一番なのだった。
海が生まれてからというもの、また有紗は莉奈と少し距離ができたような気がしていた。
「かわいいね」
そう言って莉奈は海を見つめるが、有紗が見ていると触ろうとはしなかった。
「もう少ししたら、首がすわるから、いっぱい抱っこしてあげてね」
有紗がそう言うと、莉奈ははにかんだように首をひっこめて、目をぱちくりさせて、体をそらしてしまう。
それに対して、洋三に甘えるそぶりはどんどん強くなっていった。抱きついて、なかなか離さなかったり、わざと目の前で飲み物をこぼしてみたり。
「赤ちゃん返り、っていうやつかもしれないね」
有紗はスマホの子育てサイトでその言葉を見つけて言った。
「困ったやつやなあ」
洋三はそう言いながらも、莉奈の甘えんぼうぶりが可愛くもあるようだった。
そんなある日曜、小さな事件が起こった。
洋三と有紗がちょっと目を離した隙のことだった。
「あ、海のほっぺた、血が…」
赤ちゃんは痛いことにはちょっと鈍感だったりする。自分の爪でひっかいたのだろうか、この間切ったばかりだけど、と、有紗はその小さな手のもっと小さな爪を確かめた。
海の頬にはもう少し大きな爪痕があった。
莉奈が、自分の人差し指を見つめていた。その爪にうっすら血がついていた。
「り、莉奈ちゃん…」
莉奈はひっくひっくと泣き出した。
「ごめんなさい。柔らかいから、押してみただけ… ごめんなさい、ごめんなさい」
「赤ちゃんなんだぞ」
洋三は軽く莉奈の頭をこずき、声を荒げた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
莉奈は立ちすくんで泣いた。有紗はとっさに、どうしていいかわからず、海を抱きしめていた。