さまざまな暮らしのなかでの香のありようを紹介する「香とくらす」。
今回はかゆらぐ上質のお香が似合う、鎌倉・浄智寺を訪ね、朝比奈惠温住職に禅と香のお話を伺いました。
楚々として美しい草花が彩る秋の鎌倉には、まろやかな香木の香りが似合います。
現在放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では止まるところを知らないかのような争いが繰り広げられていますが、今の鎌倉の風景は、まさに「兵どもが夢のあと」。
とりわけ「鎌倉五山」と呼ばれる禅宗の寺院の一つ、浄智寺は、その閑静で奥ゆかしい佇まいです。山自体が守られているような緑深い閑かな参道を上がり、山門をくぐり、鐘楼門から本堂曇華殿へ。その向こうには、時折地元の人たちの催し事なども行われている、書院があります。
二つの床の間のある書院は、関東大震災後に建て直されたもの。しかし当時は窓ガラスではなく、全て障子の建具だったそうです。畝りのある手作りのガラスの向こうには、庭とさらに山が見え、槙の大木が悠々と聳え立ちます。
「数週間で庭の景色は変わっていきますね。なるべく手を入れず、自然の草花を生かしています」
朝比奈惠温住職は、その景色にすっと溶け込むように座っておられました。
「鎌倉幕府は禅宗のなかでも新しい宗派だった臨済宗を庇護し、5つの寺院を「鎌倉五山」としました。鎌倉時代というのは、鎌倉が日本の中心だったわけではないのです。奈良や京都のように京都ではなかった。だから商業が栄えたわけではありません。北条時頼は建長寺を、時宗は円覚寺を建立しました。時頼は当時・南宋だった中国から、大覚禅師・蘭渓道隆をお連れてしたのです。その後、時宗は無学祖元禅師をお連れした。九州まで行って、海路図もない時代に、船を出して。着いた港から一体どうやって現地の寺まで行ったことやら。その当時の人間の集中力はすざまじいものがありますね。必要とされている人に想いを届けたい。そうしてたくさんの中国人僧侶が大陸文化を持って鎌倉で修行していたそうです」
浄智寺は、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の三男である宗政が亡くなった際、その菩提を弔うために1281年に創建されたのでした。
「幕府は鎌倉にある五つの禅宗の寺院、建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺の5つを鎌倉五山としました」
第4位の浄智寺の建物にも宋の文化の色合いが残っています。
「七福神の一つとして祀られている布袋尊の像もありますから。布袋尊のモデルは契此という中国の僧侶です。禅宗は『黙によろしく、説によろしからず』、『黙して相対し、安心(あんじん)を得るという言葉があるように、あまり言葉で説明するなと言われます。でも当時の日本人の僧侶たちは教義をなんとかものにしようと、一生懸命中国語を学んだようですよ」
日本人の僧侶たちの生真面目さが伝わってきます。
「禅宗の修行はここで終わり、というのがないのです。生きている間はずっと修行なのです」
ガラス戸を開け放てば庭や山と一つになるような気持ちになる空間。
禅寺といえば、坐禅という修行を思い浮かべますが、そこでお香は大事な役目を果たしています。
「坐禅のときには必ず線香を側に立てます。これは坐禅をしている時間を知るための時計の代わりです。道場では儀式の際に使うものと同じ大薫香という長い線香を立てています。」
白木の香立てがあり、そこに立てるようです。
大薫香の燃焼時間は2時間ほど。その他、中天香という少し短いサイズもあります。通常のお線香よりは長いようです。
よくお使いになるのは、鬼頭天薫堂の「老松」、「薫林」、そして「鎌倉五山」。
「檀家さんのところへ法要に行くとき、またここでの法要、お墓参りなどには『鎌倉五山』をお持ちしています。せっかくなら、上質な良い香りが漂う方がよろしいでしょう」
「鎌倉五山」と銘打つからには、調香師はきっと最大限に心して調合したことでしょう。天然の香木、香料のまろやかな香りは、暮らしのなかに言いようのない落ち着きをもたらしてくれます。
空気が冷たさを増すこの時期、心の奥にまで温もりをくれるのは、こんな香りかもしれません。
紫陽花の時期も桜の時期も美しい鎌倉ですが、紅葉の美しさもひとしお。そして、冬枯れもまた、禅寺を訪ねるには心引き締まって良いものです。
○浄智寺公式サイト
https://jochiji.com