みんなが働いている場所で、誰よりも働いていたのが祖母だったと思う。
朝は洗濯をし、工場も手伝い、祖父との三度のご飯と昼は工場の人たちのご飯。3時にはお茶の用意。
当時の洗濯機はまだ洗濯板で洗ったものを放り込んで、すすいでくれるだけ、というようなものだった。最後は脇についているローラーで手動脱水するのである。
それでも彼女の膝が空いているのを見つけては、そこに潜り込んだ。母は私が2歳のときに弟を生んだので、そちらに忙しかったのだった。
それに祖母の体はぽちゃぽちゃして気持ちが良かった。色黒の肌はキメが細かく、腕も胸も心地よかったのだ。
「おばあちゃんにへばりついてんな」
そう言われていた時期があった。どこへ行くのもついていった。
その家や工場のなかで一番好きだったのは、物干し台だった。
物干し台は、工場からさらにひとつ小さな階段を上がったところにあった。
木でできていて、まっ白いペンキが塗ってあった。今で言えば4畳半くらいの大きさだろうか。
そこはうちじゅうで一番太陽が当たる場所で、一番あたたかかった。
洗濯物をもって、干すときも楽しかったが、それを取り込むときはもっと楽しかった。
祖母が乾きたてのシーツを、ふざけて私に乗せたりするのである。
おひさまの香りをいっぱいに吸った真っ白いシーツのなかで、私はその香りをまた思いきり吸った。
シーツのなかから私は叫んだ。
「なんかにおいがする」
「おひさんのにおいや」
祖母がそう言った。
家族が元気で働き、仕事がどんどんあって、がんばればがんばるほど幸せになれる気がした時代。
その象徴が、あのおひさまの香りだったような気がする。
瓦屋根、トタン屋根…波の様に連なる屋根を見ながら、節句にはその物干し台に、鯉のぼりも泳いだ。
あの物干し台は、子どもの私にとって、空に一番近いところだった。
今、東京でタワーマンションや高層ビルを見ると、あのときの子どもの自分に戻って、くらくらしてくる。
探している空は、そこにはない。
おひさまの香りも、なんだか違う。
でも心のなかには、あの空はいつでも広げられる。
おひさまも香りも、鼻腔に刻まれている。
https://www.facebook.com/aya.mori1
photo Keita Haginiwa
Hair&Make Takako Moteyama