大人に囲まれて育った初孫の私は、すぐ彼らの関係性に興味をもった。
なかでも興味深かったのが「夫婦」であった。
結婚して夫婦になる。それはもう、女の一生を決める最大の要素ではないか。いや、要素などという言葉を知っていたわけではない。
ただ、商店街を見ていても、皆、基本は夫婦で働いている人が多かった。そして、成長した子どもがそれを手伝っていた。
女は、誰と結婚するかで、その後の暮らし方が決まってしまう。
私は考えた。どの店のお嫁さんになるのが幸せだろうと。
だから、様子をつぶさに観察していた。
豆腐屋は、奥さんが前に出て豆腐を売っていた。豆腐は透き通った冷たそうな水のなかにさやさやと泳いでいて、色の白い奥さんがぽちゃっとした手でそれを掬い、白いプラスチックの舟に上手に入れてくれる。寒い日は、その白い手が少し赤くなっていて、祖母は「寒うてもえらいことですなあ」と言っていた。
豆腐のプールの横には、黄色い中華そばと黒い日本そばと、白いおうどんの玉が並ぶケースがあって、それは菜箸で掬い、曇りガラスのようなハトロン紙に包んでくれる。
どうやら、夜中から仕込みをご主人がして、奥さんが売る、というスタイルのようだった。
なんだかちょっと、寂しいなあと思った。
隣のかまぼこ屋さんは、こめかみに白い小さな膏薬を貼った奥さんがしきりと働いていた。奥でお姑さんらしき人が大阪でいうところのてんぷら、つまりさつま揚げをあげていて、ご主人もいた。
でも一番働いていて、一番小さくなっているのが奥さんだった。奥さんはなぜこうも働かなくてはならないのか、と私は思った。お嫁さんは一番えらくないのだな、とも。
魚屋はいくつもあったが、今市商店街へ曲がったあたりの小さな魚屋は、夫婦でやっていた。
「伊勢から来るんよ。朝始発でな」
あるとき、そこの奥さんが、甘鯛か何かを包みながら言った。そのときは母と一緒だった。朝の苦手な母は驚いて言った。
「暗いうちから!」
「うん。3時間ぐらいかかるから」
子どもの私に3時間の時間感覚は気の遠くなるようなことだった。
その夫婦は3時間かけてやってきて、3時間かけて帰っていく。その繰り返しを、日曜以外、毎日していたのだった。
私は考えた。そんな生活はとてもできない。どうしてこの人は、そんな夫と結婚したのだろうと。
公設市場のなかの肉屋さんには、女性がいなかった。
「奥さん、働かさへんのん、えらいね」
あるとき、祖母が肉屋のおにいちゃんに言った。おにいちゃんは肌が透き通るように白くて、目がきらきらしていて、なかなかのアイドル顔だった。
「冷えますからね。… あ、それに僕、まだ独身ですねん」
「あー。そうですか」
祖母は私に言った。
「お嫁にいくか」
「来てくれる?」
おにいちゃんは、恥ずかしそうに笑った。本気にしたわけではなく、おそらくお嫁さんに来てくれそうな人がすでにいて、その人を思い出したのだろう。
たぶん商店街で一番男前だと子どもながらに私は思った。そして「ここで働かなくていいなら、いいかも」と思った。
でもなんだか、暮らしが想像できなかった。