大変だ。誰と結婚するかで、人生が決まってしまう。まだ「人生」という言葉を知る前に、私はそれに感づいた。
誰と結婚すればいいのだろう。まだ同世代の幼なじみともそんなに遊んでいない時代だから、魚屋のヒロシくんくらいしか浮かばない。ヒロシくんは優しいが、魚屋さんは伊勢からくる人たちのように大変だ、と私は心に思い浮かべた。
そんなとき、異色の存在が、祖母の妹、…三浦眼科で看護婦として働きながらも、ばんばん着物を買っている大叔母の存在だった。
彼女はこう言った。
「これからの時代は女も手に職がないとあかん。内職やっててもそないに稼がれへん。なんか、仕事がないと。あやちゃんは、何になりたいんかな」
玄関先にお菓子をもってやってきて、季節に応じた源氏物語や枕草子や万葉集の話をさらっとできるほど文学に通じている人だった。父と文学の話をしていることもあった。
「勉強せなあかんよ。いっぱい本を読まなあかんよ」
医院に行くと、白いうわっぱりのようなものを着た大叔母が生き生きと働いていた。受付には、叔母の「ばあちゃん」がにこにこといた。
朝から夕方まで、たくさんの人が待合室に並んでいた。
医師である三浦のおっちゃんは、ひたすら銀色のジョウロのようなもので、人の目を洗っていた。
大叔母はそのサポートをしていた。何をしているわけではないけど、顔が真剣だった。生きている人間と対峙するぴんと一本糸のはりつめた緊張感が、そこにはあった。
大叔母が手伝うことはその後、なくなっていくが、私はその場所の緊張感を心地よく思っていた記憶がある。
ただ、いつもいつも漂っている消毒液の香りは少し苦手だった。
三浦のおっちゃんは、淡々と患者の目を洗っているだけのようで、ちゃんと診ていた。手元のカルテはドイツ語だった。
仕事だ、と私は思った。あれが仕事なのだろう。
私は「仕事」に興味をもった。「仕事」があるから、母も楽しそうなのかもしれない、と思った。
結婚もして、仕事もあるのが楽しい。私はそう思った。だから、商店街のあのかっこいい肉屋のおにいさんと結婚するのは無理だ、とあっさり諦めた。
いつも「結婚」と「仕事」を観察するようになった。
どうやら結婚の前に「恋愛」や「お見合い」や「婚約」があることも知った。
そこで、若い夫婦には「恋愛結婚?お見合い結婚?婚約結婚?」と尋ねては、大人を笑わせた。
あの頃の商店街の息子や娘たちは、今どうしているのだろう。
少なくとも、私より10や20は年上なわけだから、いい年齢だ。
光陰矢の如し。千林商店街もどんどん様変わりしていった。バブルの頃は安っぽい貴金属の店ばかりだった。今は、ドラッグストアと介護ステーションが軒を連ねる。
あのお肉屋さんも、フライやてんぷらの店も、三浦眼科も、もちろん、ない。
私は今も大阪に帰ると、千林商店街をふらりと歩いてみる。
人が入れ代わった風景は、何もかもすべてが変わってしまっている。
けれど、ふと漂ってくるお惣菜の香りに、変わっていない何かを感じる。
誰かがここで暮らしの一部を任せている。そんな空気が漂っているのである。
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photo Keita Haginiwa
Hair&Make Takako Moteyama